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8月15日 [生活]

もう日本は暑いはず、と半袖&ノースリーブばかりスーツケースに詰め込んで東京に降り立ったのが5月初旬。想像していたよりも涼しく、数少ない長袖を着続けていたのが遥か遠いことのように感じられます。梅雨は始まったと思ったらすぐに終わってしまい、猛暑、酷暑が襲ってきて……ここまで暑かったかと自分の記憶を疑うも、記録的な暑さは私の子供時代とは比較にならないものだったよう。
そんな灼熱の東京での仕事が終わり、3ヶ月ぶりにロンドンに帰ってくると、開ききった汗腺が一気に縮こまる寒さ。スーツケースの中の夏物はそのまま部屋の奥深くに仕舞い込みました。

久々のロンドン、仕事に追われてお預けとなっていた結婚20周年を祝うため夫と出掛けました。こんな風に二人きりでレストランに行くのは久しぶり、久しぶりすぎて前回が一体いつだったのか思い出せない……10年は経っていないと思うのですが。

席に着いた瞬間、ふと不思議な感覚に襲われました。8月15日にイギリス人と日本人の夫婦が結婚20周年を祝っている!

日本では終戦記念日、イギリスではVJ Day (Victory over Japan Day=日本に勝利した日)と呼ぶ8月15日。5月8日のVE Day (Victory in Europe Day=ヨーロッパで勝利した日)と区別するため、呼び名には『日本』という言葉が入っています。イギリスに住む私のような日本人にはどこか居心地の悪い響き。
敗れた日本は敗戦記念日とは言いませんが、イギリスにとっては勝利記念日なわけです。

必ずしも正義だから勝つ訳では無い、そもそも正義と悪が戦っているとも限らない、力が強くて運に恵まれた方が勝つのが戦争。

とはいえ第二次世界大戦に関しては、周辺諸国を侵略し残虐な振る舞いをするドイツや日本があり、それを阻止する名目で行われた戦争であるがゆえに、連合国側=正義が勝ったという感覚で堂々と勝利を祝うのでしょう。

勿論そういう一面もありますが、実際はそんな単純な構図ではなく(ドイツ側につくべきと主張するイギリス人もいた)、連合国には連合国の利己的な思惑もあったはず。他国を侵略することにおいてはイギリスの方が歴史も長く、残虐な行為と無縁だったわけでもありません。

だから私の思いは、そうした国や組織の思惑を正義だと信じて戦った兵士、その攻撃の的となった犠牲者たちへと向かいます、国籍が何処であろうと……その時、その国に生まれたがゆえに巻き込まれていった個人へ。

第二次世界大戦を体験した人たちは年々減っていますが、私がイギリスに住み始めた頃は大戦を記憶に留めている年配の方々がいて、その人たちの日本や日本人に対する感情は決して良いものではありませんでした。日本を戦争へと向かわせた当時の政権、そしてきちんと清算をしないその後の政権のせいで、日本人が十把一絡げに嫌われることへの理不尽さに苛立ち、必要以上に傷ついたものです。

でも戦時下に生きていた者だって、争いさえなければ敵意と無縁でいられた個人だったはず。

かつては敵国だったことなど今や歴史の授業以外では意識しないイギリスと日本。その2つの国の血が流れる3人の子供たちを生み育て、2つの国を自由に行き来しながら20年が経ったのか、と。

お腹がいっぱいになり最後のデザートは二人でシェア。
仲良く、争いは起きませんでした(笑)。
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レ・ミゼラブル/悲惨な人々 [生活]

本日6月17日はミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本30周年記念日。

この1週間、帝国劇場では日替わりで歴代キャストが登場するスペシャル・カーテンコールが行われ、今日は盛大なパーティーが催されたそうです。
残念ながら私は参加できませんでしたが、『レ・ミゼラブル』を通して知り合った友人たちが投稿する写真を見て懐かしい思いに浸っていました。

初めてアンサンブルとして参加した1994年。楽屋に帰る暇もなく、早変わりの連続で演じた多数の役は殆どが貧しき人々。プリンシパルと呼ばれる役はありますが、『レ・ミゼラブル』のタイトルロールはそういう貧しき人々です。

ユーゴーが描いた虐げられた人々、悲惨な人々、Les Miserables。

ここ数ヶ月の間にイギリスは数々のテロに見舞われ、数日前には公営住宅の大火災で多数の人々が命を落としました。

テロは狂信的な人の非人間的行為、火災は政府の住宅管理や改装会社の杜撰さが原因、と怒りを込めて言うことは簡単です。
でも、なぜか自分を責める気持ちを止めることができません。

保守的な政府の排他的な外交、富裕層優遇の内政、それを許してきたのは主権者であるイギリス国民です。自分は現政権を支持していないから許される、という単純なことでは決してなく……

世界で孤独を感じている少数派の虐げられた人々、安全ではない場所に住むことを余儀なくされた貧しい人々。何かが起きてからそういう人々の存在に思いを寄せるのでは遅すぎるのよ、という内なる声。
そう、自分の怠惰さへの罪悪感です。

イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領誕生と続き、世界は保守化・右傾化していく一方か、と危惧した2016年。

今年に入って行われたオランダとフランスの総選挙で、その傾向が薄れたように見えたなか、突然メイ首相によって宣言されたイギリスの解散総選挙。

これはEU離脱後にイギリスという国がどこに向かおうとしているのかを知る絶好のチャンスでした。

結果、保守党はメイの期待を裏切って議席数を減らし、ジェレミー・コービン率いる労働党が議席数を大幅に伸ばしました。

コービンは、ここ何年ものあいだ(保守派の支持を獲得しようと)中道どころか右に近づいていた労働党を、大きく左に振り戻して逆に支持を増やしています。

労働党党首選の際、大学の無償化・福祉の向上と言うのは簡単だけれど財源は?と問われ、核兵器なんて作らなければいい、と答えたコービン。
労働党に失望していた私の心に希望の火が灯った瞬間です。

労働者階級、貧困層を国全体で支えようというコービンの姿勢に共鳴したのは若者たち。
今回、学生の圧倒的な支持を得て、99年間ぶりに保守党から労働党に変わった選挙区もありました。

『レ・ミゼラブル』にも貧しき者たちのために戦う学生たちが描かれています。

ユーゴーは成功した裕福な人でしたが、弱者、そして弱者のために戦う若者を書き続けました。それが彼なりの理想への戦いだったのだと思います。

原作も繰り返し読んでいたのですけれど……
民主主義を消化しきれていない日本という国の若者だった23年前の自分が、あの頃どこまで理解してレ・ミゼラブル、悲惨な人々を演じていたのだろう、今もレ・ミゼラブルのために一体どれだけのことをしているのだろう、と自分に問いかけずにはいられません。

1994年
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1997年
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2007年
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これだけは [生活]

私は一卵性双生児の片割れ(←なんて直接的な表現)です。

テレパシーで意思疎通出来る?と聞かれたことは数知れず。でーきーまーせんっ!

とはいえ遺伝子も同じなら育った環境も同じですから、思考回路、趣味や味覚も似ています。

でも、徹底的に違う点が……
選ぶネイルヴァーニッシュの色。

リムーバーやベースコート、置き場所が本棚、というところまでは同じなのにー。

ちなみに二人とも極たま〜にしか塗りません。

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EU離脱と大統領選 [生活]

EU離脱の国民投票の日、レ・ミゼラブルの作曲家であるクロード=ミッシェル(フランス人)とシャーロット(イギリス人)の家に招待されていた。4人で食事している間の話題はこの投票のことばかり。クロード=ミッシェルと私の2人はイギリスにとって外国人であり、シャーロットと我が夫の2人はその外国人と結婚していて、ふた組の間にはハーフ・イギリス人の子供たちが合わせて4人いる。これは切実な問題だった。

クロード=ミッシェルと私に投票権はないため、イギリス人の判断に任せるしかない。この国民投票が我々の存在を否定か肯定する、そんな気持ちになっていた。

幸い私の夫の家族に離脱を望む者はいなかったが、シャーロットの家族は世代や居住場所や職業といった理由で二つに分かれており、家族間でこの件を話題にするのはなかなか難しい状況のようだった。

食事が終わり、ちょっと開票状況を見てみようということになってテレビをつけると、EU残留派が優勢だったので、お互いに笑顔で「さよなら」を言い合って帰途につき、そのままベッドへ直行した。

翌朝目覚めてニュースを見た瞬間、言葉通り声を出して叫んだ。信じられなかった。信じたくなかった。

そしてアメリカ大統領選、私がベッドに行くときは大方の予想通りヒラリー優勢。けれども今回は、朝起きたらトランプが勝っているのでは、と感じていた。第六感などではなく、期待を裏切られないための予防線でもなく、これが今の世界の流れだなのだということが、もう自分のなかで否定できなかったからだ。

夫は仕事先のニューヨークで今回の結果を見守っていた。EU離脱ではそこまで驚かなかった彼だが、なぜか大統領選に関しては楽観的だった。いくらなんでもアメリカはあんな男を自分たちの大統領に選ばないだろう、そこまで愚かな人々ではないと主張する夫に、私は「あり得る、絶対にあり得る」と言い続けていた。結果を見て早速テキストを送った、「ね、言ったでしょう?」

私はトランプを選んだアメリカの人たちを愚かだとは思ってはいない。現代のアメリカが抱える切実な問題が彼を選ばせた。彼自身がどこまで自分の言ったことを信じているのか、どこまで実現可能かは不明だが、彼のレトリックは色々な意味で人々を魅了した。

EU離脱の際に、UKIP党のナイジェル・ファラージュ(これも私にとっては冗談のような人にしか思えない)が多くの人を魅了したように。

EU離脱 、アメリカ大統領選の勝者によって共通して叫ばれたのは、移民を制限する、自分の国を取り戻す、という二点だ。
経済に暗雲が立ちこめて失業者が増えたとき、異国が脅威を与えてくるとき、これは魅力のある言葉に聞こえる。

EUの発案者、 EUの父と呼ばれるのはハーフ日本人、あのクーデンホーフ光子の息子リヒャルトだ。私は、彼が当時は珍しかった(特に特権・貴族階級において)ハーフ・オリエンタルという存在であったことが、EUの発想に強く影響していると思っている。
私自身は大きな決意をもって踏み越えた国境も、私の子供たちは簡単に行き来する。ヨーロッパではそもそも『純血人』を探すことさえ難しいのではないだろうか。

ヒトラーを苛立たせたこの『混血人』の理念に基づき、疲弊した第二次世界大戦後のヨーロッパは統一されてゆく。

そのことを、EU離脱支持者との会話の際に持ち出すと、
「そう、 EU統合は争いや憎しみに疲れたきった我々の理想だった、でも結局我々はお互いを簡単には理解できないし、お互い妥協もできないのだよ」
と返された。

では人間は、戦争、疲弊、和平、統合、平和、不況、不和、分離、戦争というサイクルを永遠に繰りかえし続けなければならないのか? その不和と分離の時点で、何か違う選択はできないのか?

我々は誰だって遡れば、どこかの時点では必ず移民だったはず。だから私は、自分の国を取り返す、移民は制限しろ、と叫ぶ人を見ると違和感を感じずにはいられない。国って何だろう? そこに何年、何世代住み続ければ、法的のみならず精神的にもその国民になれるのだろう? 

アメリカでは、殆どの人が自分の先祖がどこから移民してきたのか遡れる。その先祖は原住民を迫害した侵略者(自身は開拓者と名乗っても)だったかもしれない。戦争によって自国の地を泣く泣く後にした避難民だったかもしれない。そうした人たちが、未来の移民に対して厳しい態度をとり、意思に反して連れてこられた奴隷の子孫に向かって「国へ帰れ」と言ったりする。

そこまで遡ったらキリがない?
でも……

事前調査では(投票所の調査でさえも)、EU残留、ヒラリー優勢と伝えられていた。
結果は両方反対。

EU離脱支持者、トランプ支持者のなかには、どこか大きな声で言えない、後ろめたい心を持つ人たちがいたのは確かである。


イギリスでの報道は…… [生活]

 イギリス主要紙の一つ、”The Guardian”の昨日の国際面。紙面を大きく割いて、年明けから日本を騒がせている事件?について書いています。

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 ”ベッキー”というタレントも”ゲスの極み乙女。”というバンドも知らないイギリス人にとって、彼らの不倫問題はどうでもいいこと、注目しているのは日本の社会が芸能人に何を求めているかという点です。イギリスとあまりに違うのでニュースになるのですね。
 何年か前にアイドルグループの一員が丸刈りにした時には、新聞だけでなくBBCのニュース番組も取り上げていました。

 夫や自分の仕事関係で日英双方の芸能界を間近に見ているため、その仕組みの相違について考えを巡らせることが多いのですが、仕組みが始めから違って作られたというより、社会・文化・嗜好が異なるために違う仕組みになったのでしょう。

 時間を見つけて詳しく書きたいとは思っていますが……長くなりそう。

アラン・リックマン [生活]

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アラン・リックマン。

長年のパートナー(なんと知り合ったのは十代の頃だとか!)リマと遂に結婚したと聞いた時にふと頭をよぎった予感はあったものの、末娘Y子からの電話で彼が亡くなったと知った時には強いショックを受けました。

家族のみで挙げたイタリアでの結婚式に、たまたま近くにいるからと参列してくださったこと。

『ハリー・ポッター』でスネイプを演じる彼の大ファンとなった娘Y子、彼女が送ったファンレターに丁寧な返事とサイン入りの写真をくださったこと。

妊娠中でアルコールに手をつけない私に
「エマ・トンプソンだったら飲むぞ。」
ハリー・ポッターの撮影中に
「将来値打ちが出るかもしれないから小道具は失敬してある。」
などと冗談を言う、ゆったりとした特徴のある深い声。

舞台『Private Lives(私生活)』でエリオットを演じる姿。

次々と蘇ります。

つい数週間前には、アランが監督して自らルイ14世を演じた『A Little Chaos』という映画を夫と観たばかり。
婚約時代の98年、彼の初監督作品である『The Winter Garden(ウィンター・ガーデン)』を名古屋の小さな映画館に観に行ったことを、二人で思い出していました。

独特の存在だったアラン、本当に寂しくなります。

平和共存 [生活]


 今朝、ジハーディ・ジョンがアメリカ軍によって殺害されたというニュースを読んだ時、胸がざわついた。

 英国首相のデイヴィッド・キャメロンは、数々の外国人ジャーナリスト、そして多数のイスラム教徒をも殺してきたジョンの殺害は”自衛行為”だと言い切って支持したが、私には西欧の”報復行為”にしか思えず、相手側にまた一つ報復の理由を与えたことにゾッとしたのだ。

 ロシアがシリアへの爆撃を始めたら、数週間後にはロシアの旅客機がシナイ半島上空で爆破された。

 パリで起きたテロのニュースに言葉通り震えが止まらない。複数箇所で同時に起きたテロは綿密に計画されたものでジョンの殺害とは直接関係ないかもしれないが、暴力の連鎖の渦中にいる恐怖で眠ることもできない状態だ。

 パリはロンドンのすぐ隣、ユーロスターで2時間という距離。決して他人事ではなく、自分たちがターゲットになっていることを肌で感じる。

 フランスのオランド大統領だけでなく、アメリカのオバマ大統領、イギリスのキャメロン首相もすぐに声明を出した。
「人道に反する」「何の罪もない市民を犠牲」「許されない」という言葉が繰り返される。

 私もテロリズムには言葉にならない怒りを感じる。

 では我々が中東で行っていることは何なのだろうか?
 虚偽の情報をもとに「人道に反する」戦争を起こし、「何の罪もない市民を犠牲」にして、それが「許される」のだろうか?

 私がここで震えているように、中東にだって一瞬たりとも心が休まらない恐怖の中で暮らしている普通の人々がいる。
 我々がしていることはテロリズムとは違うのだろうか?

 暴力を暴力で返す。誰かがどこかで止めなけば、それは延々と続いていく。


 数ヶ月前、夫の友人に招かれてケンブリッジ大学での夕食会に出席したのだが、夕食の席でちょっとしたレクチャーがおこなわれた。

 テーマは、『西欧生まれのイスラム教徒が聖戦に参加する心理』。

 ゲスト・スピーカーは、イスラム系のケンブリッジ大学卒業生で聖戦参加の経験がある人物、大学在学中の若い頃、アフガニスタンで2年に渡って対ソヴィエトの聖戦に参加したという。

「2年に渡ってとは言ってもね、ある年の12月末から翌年の1月頭まで、たったの2週間だよ。」
という笑いで始まったスピーチ。
「自分の理想郷を目指す情熱を持つとともに、武器を使って戦うことにロマンを感じていたんだ、その年頃の男に特有のくだらないロマンさ。」

「でもいざ銃を撃つ訓練を始めたら、まずは耳元で響くその音の大きさに驚愕し、そして実際に人を殺すのかもしれないという現実が恐ろしくなった。」

 若者を引き寄せるための合宿のようなものだったのか、彼は2週間で帰ったという。暴力へのロマンはあっという間に恐怖へと変わったが、
「理想郷を求める気持ちは容易には消えなかった。今の若者たちが中東に向かう気持ちも同じだと思う。」

「差別だよ、自分はイギリス人としてイギリスで生まれたのに、外見や宗教で差別される。どこか自分が心地よく居られる場所を見つけようという心理は理解に苦しむものではないだろう?」

 人種や宗教の差別、これは異人種が混在する歴史が長い国でもいまだ根深い問題だ。

 私も日本人としてこの国で受けた差別、感じた違和感は数え切れないが、私は自らの意思で移住した身、この国に住むことを選んだ時点で覚悟は出来ていた。
 それにまだ日本人であり、自分の国と呼べる日本がある。

 だが、帰る場所の無い政治的・宗教的避難民たち、自分の意思とは関係なくその国に生まれた異人種・異宗教の子供たちが、自分の国として暮らしたいのにそう扱われない。その不満の大きさは計り知れない。

 そして理想郷を求める。

 自分を差別する世界が攻撃する国こそ、自分たちが守るべき理想郷だ。

「では暴力で理想郷を得ることはできるのか? 答えは否だ。イスラム原理主義者の聖戦は、イスラム教徒が安らげる場所を作りはしなかったよ。」

 そして、彼はこう続けた。
「私には子供が4人いるけれど、最後の子の出産直後、妻が危険な状態に陥り生死の間を彷徨ってね。でもその時、そこにいる全てのスタッフが必死の治療を施してくれた。人種や宗教の相違なんて関係無く、皆が全力で私の妻を救ってくれたんだ。」

「世界を動かすのは、この力であるべきだ。お互いがお互いを殺しあう力ではなく。」

「平和共存は可能だと信じている。」


 ジハーディ・ジョンに処刑されたアメリカ人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリーの母親が、ジョン殺害後に受けたインタヴューで放った言葉が心に響く。

「ジョン殺害が慰めになるかって?ノー。違う状況に置かれていたら、おそらく息子ジムはジョンと友達になり、彼を救おうとしたわ。貴重な資力をこんな復讐に使ったりして……そっちがやるなら、こちらはこの男を殺してやる、みたいな。資力はアメリカの若者を救うことに活用するべきよ。」

「ジムは、きっと嘆き悲しむ。彼は平和を望んでいたの、何故こんなことが起きるか、それを解決したかったのよ。これは正義なんかじゃない、ただ悲しいだけ。この狂気じみた哀れな若者ジョンの死を勝利として賞讃しないよう、私たちは注意すべきだと思う。」

「我々の国が平和への道を選ぶことを願うわ。」

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ニューヨーク日記 Part 1 [生活]

樹々の多いロンドン、掃いても掃いても降り積もる木の葉との格闘が続く毎日です。
ああ焼き芋食べたーい。でもイギリスのサツマイモは焼くと溶けてしまうのよ〜、泣。

9月にはすでに肌寒かったイギリス。その寒さから逃れるように、夫のいるニューヨークに2週間ほど滞在してきました。

この6月、翻訳をしたコンサートを観るために訪れたばかりですが、2泊2日という無謀なスケジュールで、コンサートの関係者との再会を喜ぶうちに時間は過ぎ去り……
その前は何と15年前、『Jane Eyre』のリハーサルをしていた夫と6週間もニューヨークで暮らしましたが、当時は子供たちが小さくて(2歳になったばかりの長男と10ヶ月だった長女)、セントラル・パークに毎日通ったという記憶しかなくて……
さすがに『Jane Eyre』の初日はベビーシッターを頼んで観に行きましたが、他の舞台は何も観ていないと思います。48th Street に住みながら。

というわけで、今回は舞台や美術館を巡る、という確固とした目的をもって向かいました(勿論、夫を訪ねるのが第一の目的ですが、笑)。

エンターテイメント性が強いブロードウェイ、演劇性が強いウェストエンド、と我が頭の中では位置付けられていて、どちらかというとウェストエンド派な私ですが……

やはり凄いです、ブロードウェイ。

6月にトニー賞が発表されて(賞が全てではありませんが、その結果を頼って無理に上演を続ける作品も多々ある)生き残った舞台の上演が続くものの、観劇客が少なくなる夏休みはブロードウェイにとってのオフシーズンです。
そして9月になると、来年のトニー賞を狙う作品が一気に劇場にかかる、まさにそういうエネルギーに満ちた時期に訪れた幸運な私は、今回7つの劇場へ足を運びました(1つは演劇ではありません)。

そして嬉しいことに全て当たり、大当たり。感想はこれから書いていこうと思います。

今回も劇場街のど真ん中、43rdに滞在。空の面積が小さいっ。
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ストラットフォードの日々 Part 3 [生活]

カナダからロンドンに帰って数週間が過ぎ、子供達の新学期(新学年)も始まりました。ロンドンは8月末から冬に突入(笑)。日中はセーターを着て過ごし、夜には湯たんぽを抱える寒さです。

舞台の仕事があった夫はストラットフォード・オンタリオに2ヶ月ほど滞在し、我々家族はその後半の一ヶ月に合流したわけですが、最後の10日間は私の妹一家も遊びに来て、何とも賑やかに楽しく過ごしました。

トロントからレンタカーでやってきた妹たち。その10日間は我々も車を借りて、カナダの自然を満喫しようと遠出をしました。

ひたすら真っ直ぐに続く道。あまりに見事な直線すぎて距離がつかめません。ちょっと先にいるように見える対向車とすれ違うのは数分後だったり。日本やヨーロッパとはスケールがまるで違う、さすが世界第二の面積を誇る国だと実感します。

ハンドルを動かすこともなく向かった先はヒューロン湖。北アメリカ大陸にある五大湖の一つです。
あまりの大きさに対岸は全く見えません。湖畔は砂だし、まるで海のよう。波のない海。
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水を見ると真剣に泳ぎたくなる私。とは言っても、口に入ってくる水の塩辛さが苦手で海は見るのが専門、プールは塩素への嫌悪が強まる一方で……

湖最高〜!これだわ〜、私の求めていたものは!!
波は無いし淡水だし塩素は入っていないし、もうずっと泳ぎ続けていたいっ!!!

水温は高くありませんでしたが、日差しが強かったので、暑くなると飛び込んで、冷えてきたら日向で温まってと、何とも贅沢な時間を過ごしました。



次は森林の保護地域。蚊を警戒しながら、木々の間、背の高い草の間を歩きます。誰にもすれ違わない、逆にすれ違ったら驚く静けさです。自分の子供たちの声がウルサイのですけれどね、でも耳をすますと色々な鳥の声が聞こえてきて……
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見上げると木のかなり上にある誰かの巣。どんな鳥の棲家だろうと考えていたら、
「あれはポーキュパイン(ヤマアラシ)の巣だ」
と夫J。幼少期にカナダの自然の中を走り回っていたので詳しいです。
へぇぇ、ヤマアラシってあんなに高いところに巣を作るのね、あの棘だけでは身を護りきれないのかしら。

森林の外は、見渡す限りトウモロコシ畑が続きます。
ドライヴしていてもそう、道路の両側はトウモロコシ、トウモロコシ、トウモロコシ、またまたトウモロコシ。農家も規模が大きくて、まったく景色が変わりません。

印象的だったのは雲です。湖が近いからか、いつもドラマチックな雲が空に……浮かんでいるというよりも、湧き上がっているという感じ。



そしてナイアガラの滝。
ストラットフォードから車で1時間半〜2時間ほどの距離ですが、あまりに有名なので二の足を踏んでしまい、
「行った方がいいと思う?」
なんて、知り合ったカナダ人に聞いてしまいました。

「せっかくこんなに近くにいるのだから行かなきゃ駄目よ、一回は見ておきなさい。」
という言葉に励まされ、そして妹一家も行く気満々だったので、仕事をしている夫を置いて二家族で出かけました。

着いてみると、心配通り人は多いし(我々もその一部です)、周囲の観光開発は日本もビックリのケバケバしさ、そこで心が折れそうになりましたが、滝を目にした途端に、
「おおぉぉっ!」
圧倒されました。
滝の大きさよりも何よりも、その水の量に。今でこそ水量調節等でコントロールしているそうですが、それまでは1年に1メートルずつ削れて後退していた、というのも納得です。
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「川の流れは絶えずして……」と頭に浮かんでも、あっという間にその大量の水とともに落ちて行く勢いでした。

それにしても、暖炉の火や落ちてゆく滝の水って、何故ずっと見ていても飽きないのだろう?

ストラットフォードの日々 Part 2 [生活]

こちらへ来てから、5本の舞台を観ました。

ストラットフォードには劇場が4つあります。
客席数約1,800 の "Festival Theatre"、1,000 の "Avon Theatre"、480 の "Tom Patterson Theatre"、260 の "Studio Theatre"。

春から秋までの6ヶ月間、これらの劇場でシェイクスピア4本、ミュージカル2本、現代劇3本、古典劇3本、そして新作1本がレパートリーとして日替わりで上演されています。

というわけで、まだ半分も観ていなーい。


夫Jが演出するシェイクスピア『恋の骨折り損』が上演されるのは"Festival Theatre"。
ストラットフォードで一番最初に建てられた(1957年完成)メインの劇場で、フェスティバル初期に劇場として使ったキャンバス地の巨大テントをモデルにデザインされたそうです。
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ちなみに、1953年に始まったこのフェスティバルで最初にセリフを発したのは、リチャード三世に扮したアレック・ギネスだったとか。

客席数1,800といったらかなり大きいのですが(帝国劇場が1,900強)、とてもそうとは感じさせません。張り出した小さな舞台を囲むように、客席が180度の扇型に広がっているからです。どの席からでも臨場感をもってお芝居を観ることができます。
古代ギリシャとか古代ローマの劇場のよう、理想的です。
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劇場前の庭には、シェイクスピアの戯曲に出てくる植物が全て植えられている!
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次に大きいのが"Avon Theatre"、前回書いた『アンネの日記』を観たのはこの劇場。
オーソドックスな作りですが、これも大きさを感じさせません。
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この劇場は、演劇以外のあることでも知られています。
街の中心にあり、開場時間には人で溢れる劇場前。その入り口の階段で、幼き頃のジャスティン・ビーバーがギターの弾き語りでバスキングしていたそう。

彼は今や、最も有名なストラットフォード出身者かもしれませんね(音楽以外にも色々な意味で)。
成功を収めて大金を手にしたジャスティンが、数年前に自家用ジェットだかヘリコプターだかで飛んで来て、同じ場所で弾き語りをしたことがあるらしく……
ヘリコプターや小型飛行機の音がすると、
「ジャスティンかな?」
と言ったりする人がいます(笑)。

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今日も劇場前でギターを手に歌っている男性が。いつも誰かが演奏しています。


3番目は"Tom Patterson Theatre"。
この劇場はフレキシブルで、年ごとに舞台の形を変えるそう。今年は長方形の舞台の三辺を客席が囲む形です。来年は四方を囲む形にするという噂。
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写真では分かりにくいですが、かなり縦長の舞台です。

Tom Pattersonという人物の名を冠した劇場ですが、このトム・パタソンこそフェスティバルの発案者であり、ストラットフォードの救世主です。

鉄道のジャンクション(合流点)として発展してきたストラットフォードは、蒸気機関車が廃れていく中で経済が悪化の一途をたどり、先が見えない状態でした
そこで、ストラットフォード出身のジャーナリスト、トムが市に提案をしたそうです。ストラットフォードという名前の街なのだから、シェイクスピア・フェスティバルを催して観光客を集めよう、と。

で、63年目の今年も続いている……街の一番の産業は勿論「観光」です。目の付け所が素晴らしかったですね、トムさん。

シーズン開始のイベントでは、バグパイプ演奏に合わせて白鳥が街を行進するそうです。
これもイギリスのストラットフォードらしさを出す演出、面白い〜。
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そして一番小さな"Studio Theatre"。
これは”Festival Theatre"をごくごく小さくした感じの劇場です。
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演技者が同じ空間に生きているのを感じられる、こういう劇場が大好きです。

私たちが観に行った作品、舞台には水が張ってあり(だから役者の靴は全てゴム製)、素っ裸の男性がそのプールにうつ伏せに横たわっている状態から始まりました。起き上がって水に浸かった洋服を着る、その気持ち悪さも共有してしまいます。
娘たちは、裸の男性が目の前に立った時点で固まってしまいました……


おまけとして、劇場とは関係のないストラットフォード・トリビア。
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十代の頃のトーマス・エジソンが、短期間この家に住んでいたとかいなかったとか。

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