SSブログ

ストラットフォードの日々 Part 1 [生活]

ストラットフォードの気候はロンドンと比べると湿気があります。はじめは日本の夏のように感じられましたが、日中でも家の中は涼しいですし、日が沈むと外の気温も下がって寝苦しいなどということはありません。

開け放った窓。どこかから子供の遊び声が響いてきたり、日曜日には芝刈り機の音が聞こえてきたり。
通りに目を向けると、アメリカ映画でよく目にするフロント・ポーチ、そこに座ってくつろぐ人々の姿が見えて、それが不思議とノスタルジックな風景に映ります。

我々の移動手段はレンタルした自転車。
IMG_4206.JPG

カナダは右側通行です。
海外では、右側通行だろうがマニュアル車であろうが恐怖心もなく無事に乗り切ってきましたが、子供たちが自転車で道路を走るのを見るのは怖くてたまりません。
最後尾で
「一旦停止ー!」
「右に寄ってー!」
と叫びながら乗っています。

遊びに行くのも、劇場に行くのも自転車。そして買い物も。カゴが付いた自転車に乗っているのは私だけなので、皆でバックパックを背負って。

ここの人たちは皆フレンドリーで本当に親切です。
楽器が無くて寂しいなあ、と街の中心にあったギターショップにふらっと入り、
「一番安いギターだったらどれくらい?数週間しかいないから高いものは買えないの。」
と言ったら、
「20ドル(2000円弱)で貸してあげるよ。」
って身分証明書も何も見ないで、売り物のギターを貸してくれた! しかも新品のケース付き。
IMG_4208.JPG
ギターを手にしたことよりも、その親切に心が温まりました。

数日前には子供たちと一緒に『The Diary of Anne Frank(アンネの日記)』を観に行きました。すでに観ていた夫に、良いプロダクションだからと勧められて。

まずは出演者全員が舞台上に登場して、一人ずつ自己紹介をしながら、自分が13歳だった頃のこと、あるいは自分と第二次世界大戦との繋がりについて話します。そこから物語が始まっていく……

その冒頭から最後まで涙が止まりませんでした。

物語は隠れ家に住み始めてから見つかるまでの間。
決して暗い話ではない、むしろ聡明で個性的な13歳の少女の目で描かれた生活は、閉ざされた環境であるにもかかわらず、素晴らしいまでに活き活きとしています。自分、そして自分を取り巻く世界への好奇心に溢れているのです。

でも、観ている私たちは結末を知っている。彼女と家族がどうなるか知っている。だから、機知に富んだ人間描写を聞いても、ユーモアに溢れるエピソードに触れても、笑いながら泣いてしまうのです。

隣で見ている我が娘たちは13歳と15歳、息子は16歳。隠れ家に住み始めた時のアンネ、マルゴット、ペーターとほぼ同い年だと思うと、余計に苦しくなります。

母親との確執、性への目覚め……
最初に日記が出版された際、アンネの父親がカットしていた部分があったことが彼の死後に判明し、その部分を補って完全版が出版されました。それを受けて、フランシス・グッドリッチとアルバート・ハケット夫妻が1955年に書いたこの戯曲にも、ウェンディ・ケッセルマンによって97年に加筆・編集が為されています。
私が子供時代に読んだ本はカットされたヴァージョンだったので、早速最新版を購入して読み始めました。
IMG_4209.JPG
一緒に写っているのは舞台のプログラム。演出もセットもシンプルでありながら力強くて、本当に良質なプロダクションでした。

アンネを演じている Sara Farb は、1996年にトロントで初演された『ジェーン・エア』で、子役としてヤング・ジェーンを演じていたそう。立派な役者となった彼女との再会を、夫は喜んでいました。

赤毛のアン、そして想像力 [生活]

昨日は本当に落ち込みました。
珍しく家族揃って向かったレストランでも、文字通り頭を抱えて苦悶。何も手につかない、そんな状態でした。

前回、夫は生まれ育ったカナダに思い入れがある、と書きましたが、実は私もカナダに対して特別な思いを抱いています。
それは、子供のころに読んだ『赤毛のアン』の舞台がカナダ・プリンスエドワード島だったからです。

私はカナダ人ルーシー・モンゴメリーの書いたアン・シリーズが本当に好きでした。子供時代に夢中になった本は?と聞かれれば迷いなく『アン』と答えます。そして『あしながおじさん』。

我が家にあったアン・シリーズは村岡花子さんの翻訳で、ハードカヴァー函入り全10巻(『赤毛のアン』は知っていても、続きは読んだことがないという方も多いようですが、ストーリーはアンの子供の世代まで続いてゆきます)。
幸運にも?姉と妹は『大きな森の小さな家』から始まるローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズを好んでいたので、この10冊は私がロンドンまで持ってくることを許され、現在住んでいる家に一緒に引っ越してきました。

アンと『あしながおじさん』のジルーシャの共通点として真っ先に挙げられるのは、主人公が孤児の女の子だということかもしれませんが、私が注目するのは、二人とも想像力が人間にとって重要だと力説する点です。

ジルーシャは言います。
「いかなる人間にとっても重要な資質って、想像力だと私は思うの。それは相手の立場に立って考える助けになります。親切で、同情心や理解力のある人間にしてくれるのです。」

アンは相手を知ろうとするときに、まず想像力があるか無いかを見極めようとします。それが人間にとって一番大切な部分だと信じているからです。

読んだのはもう30年以上前なので、細かい部分は忘れているのですが、昨日ふと思い出したことがあります。アンの息子(多分次男だったと思う)ウォルター。

モンゴメリーがこのシリーズを書いている間に起きた第一次世界大戦。戦争は物語に色濃く反映されていきます。

カナダは英国連邦の一員として戦争勃発と同時に参戦しますが、徴兵制度はなく志願制でした。

ここから先は、実際の小説とはもしかしたらズレているかもしれません。
私が子供時代に読んで独自に解釈したこと、今思い出したいと願っていることが混ざっているかもしれません。


アンが自分に似ていると感じるウォルターは、想像力が豊かで感受性が人一倍強い。
彼は「戦争へ行く」ことは「殺し殺される場へ行く」ことだとしっかり理解しており、特に人を殺さなくてはならない状況を想像して耐え難いことだと思う。
志願制だから義務では無い。けれども他の者たちが自分の命を捨てていくときに、自分が安全な場所に残ることも彼の想像力は許さない。

そして彼は戦場へ行き、そこで命を落とす。

アンはその事実を知らされて打ちのめされるが、
「彼はきっと人を殺すことができずに、自分が死ぬことを選んだのだろう。誰かを殺して生き残るよりも幸せだったに違いない。」
と想像する。


カナダはこの戦争で(自分たちから遠く離れた場所で起きた戦争で)約六万もの命を失いました。

少しでも想像力がある人間ならば、戦争がどれだけ残酷で、怒りと無念さと絶望しか生み出さないものなのか分かると思います。

私は昨日、想像力によって打ちのめされました。

自分の子供が、身近な誰かの子供が、夫が、父親が戦争で誰かを殺すことを強要され、死んでいくかもしれない、そう想像せざるを得なくなったから……

ストラットフォード・オンタリオ [生活]

カナダ・オンタリオ州のストラットフォードに来ています。

そう、シェイクスピアの生地(聖地)として有名なストラットフォードと同名の街。
19世紀初頭にヨーロッパ人が入植した時に、イギリスのストラットフォード・アポン・エイヴォンにちなんで名付けられたそうです。
街を流れる川も、その部分だけエイヴォン川と名前を変えています。

川の他の部分の名前はテムズ。アメリカやカナダの地名は本を正せばヨーロッパのものばかりです。先住民が呼んでいた地名もあったのでしょうが、入植したヨーロッパ人が自分たちの故郷の地名を付けていった歴史をそこに見ることができます。

空港からストラットフォードまでの間も、高速道路の表示にはロンドン、ケンブリッジ、ウォータールーなどなど。飛行機に長時間乗って来たのは夢か幻か、と思ってしまいました。

そのカナダのストラットフォードですが、せっかく街の名前がシェイクスピアの生まれ故郷なのだからと、『ストラットフォード・シェイクスピア・フェスティバル』というものを開催するようになりました。
FullSizeRender.jpg
毎年4月から10月に、シェイクスピアを中心とした大きな演劇フェスティバルが開かれます。もうかれこれ60年以上続いている北米大陸では最大級の演劇祭で、参加するスタッフや役者も超一流、その舞台を観ようと北米大陸(や世界各地)から集まる観光客相手のビジネスも盛んなようです。

私の夫Jはカナダ生まれ。プロフィールには必ず「カナダ出身」とか「カナダ生まれ」と書かれるのでカナダ人だと思っている人も多いようですが、イギリス人の両親のもとに生まれたイギリス人です。ただ、10歳まで暮らしたカナダという国への思い入れは強く、Jの第二の故郷であることは事実。

このフェスティバルで演出をというお誘いは前々からあり、Jもやりたくて仕方なかったのですが、いつもスケジュールが合わず……今年やっと実現しました。

『恋の骨折り損』を演出します。

5月末にロンドンを旅立ち、NYやワシントンを経由して6月半ばからストラットフォードにいた夫。私も夏休みに入った子供たちを連れて昨日到着し、ようやく家族一緒の時間を過ごせることになりました。

さて、夫がリハーサルで留守にしている借家に着き、早速荷ほどきを始めると……

この一ヶ月探し続けていた私の爪切りがデスクの上に!

カナダで借りている家のデスクの上に!!

楽器を弾く私には爪切りは必需品です。イギリスの爪切りの質に満足できず、日本にいた妹に頼んで手に入れたゾーリンゲン製の爪切りが、カナダのストラットフォードのデスクの上にぃ〜!!!

帰宅した夫をすぐに問い詰めました。

私「この爪切り、この一ヶ月半のあいだ血眼になって探していたのよー!」
夫「何を言っているんだ、この爪切りは僕のバッグにここ数年ずっと入っていたぞ。ここ数年なかっただろう?」
私「いいえ、一ヶ月半前まではありました。」
夫「じゃあ、もともと二つあったのだろう。」
私(ロゴマークを見せて)「これはS子に特別に買ってきたもらったもので、一つしかありません。」
夫「知らん、とにかく僕がここ数年間持っていたんだ」

しらばっくれる夫に呆れて、
「もう、終身刑だね。爪切りがどうのっていうより、その言い訳?嘘?に対して終身刑。」
と言うと……
「ああ、終身刑さ。こんな爪切りごときで大騒ぎする妻を持ったのだから終身刑も同じことだろう!」

感動の再会なんてものはどこにもありませんでした。

ヴァイオリン [生活]

久々にヴァイオリンを弾いています。
IMG_4165.JPG

始めたのは3歳でしたが、親の努力や説得も虚しく10歳で止めた私。
少し遅れて始めたピアノは中学生まで続けましたが、これもフェイドアウト。
どちらも気が向いたときに趣味で弾く程度になってしまいました。

姉はヴァイオリニスト、妹はピアニストになっていくなか、
「私は両方弾くけれど〜、どちらも酷いの〜」状態に。

でも楽器が弾けることがどれだけ有用か、本命である歌を始めてから実感しました。
特にピアノは弾き語りも出来ますし、ほぼ毎日のように触れていたと思います。

でもヴァイオリンは……本当にたま〜にケースから出してあげる程度で……

小さい頃は、姉が使えなくなったサイズのヴァイオリンを譲り受けて弾いていましたが、フルサイズになると、お古として譲ってもらえません。そこで、やはりヴァイオリニストである従姉の7/8という特殊なサイズのヴァイオリンを借り、弓だけが私物という状況で弾いていました。
その後ヴァイオリンはお返ししたので、結婚後ロンドンに持って来たのは弓一本のみ。

そんな私に、夫は婚約指輪でも結婚指輪でもなくヴァイオリンをプレゼントしてくれました。

改めて先生についたりしたのですが、その後は子育てに追われて、またもケースの中で放って置かれたヴァイオリンちゃん(その間もピアノはずっと弾いていました)。

で、またそろそろ始めようかなと思っていた矢先に、娘が学校のオーケストラに入ったー!
ヴァイオリンは妹の夫(これまたヴァイオリニスト)に借りたものの、弓のスペアは無くて私のものを持って行くことになり、我がヴァイオリンと弓は学校の長期休暇のみに出会う七夕状態となってしまいました。

そしてそして、ヴァイオリンは棚上げしたまま、41歳にしてギターも始めてしまったという事実。
色々と手を出して、全てものにならない私なのよ〜。

さあ夏休み!
弓とヴァイオリンが涙涙の再会を果たしました。

最近は私の甥っ子三人(姉の息子二人と妹の一人息子)が素晴らしいヴァイオリニストになりつつあって、感化されちゃって感化されちゃって大変。
そういう影響だけは受けやすいのです、ふふふ。

抜かされてたまるかって、もうとっくに抜かされているのだけれど、やる気満々です。
やる気だけはね。

そんなエネルギーに満ちた母と、息子Yの会話。

私「ヴァイオリン始めようと思っているのよ、また。」
Y「え〜、面倒くさい。」
私「あなたに弾け、って言っているんじゃないのよ。私が弾くの、分かった?」
Y「聴くのが面倒くさいんだよー。」
私「へ?」
Y「だって、クラシック弾くんでしょう?」
私「……う、うん、それしか知らないし。」
Y「お母さんはさ、ギターをもっと練習して、ポップスを歌っていればいいんじゃないの?」
私「でも両方やってもいいでしょう?」
Y「クラシックはもう十分だよ、お願い〜、やめて〜。」
私「…………。」

世の中、色々な意見がありますね。

でも、めげません。両方好きですから。
というわけで、これからもギターやピアノでポップスを弾き語り、ピアノとヴァイオリンでクラシックを弾きます。

いつかはどれかものになるかなー?

暑い、熱い [生活]

昨日のロンドンは猛暑と呼べる暑さでした。ヒースロー空港では記録を更新、36.7度だったとか。

思い立って、こちらでも手に入る材料で即席『冷やし中華』を作りました。材料を末娘に切ってもらったら、ちょっと不揃い……
IMG_4125.jpeg

日本との違いは湿度。湿気が日本ほど高くはないので、屋根のすぐ下でない限り室内は断然過ごしやすいのです。窓が小さい我が家も涼しくて、外に出るまで猛暑に気づかなかったくらいです。
でも折角の冷やし中華ですからね、暑い外に出て食べましたよ〜。

熱かったのはワールドカップ。
イギリス時間では深夜開始の試合だったので、前半だけ観て寝てしまいました。観続ける勇気が無かった、と言う方が正しいかな。
朝、恐る恐るニュースを見ると……

「勝ったー、勝ったー、勝ったよー。」一人で大騒ぎ。

日本vsイングランドの試合、ハーフ&ハーフの我が子供たちには難しい状況ですが、私はいつも以上に日本応援に力が入ってしまいます。

周りで皆が喜ぶ時にガッカリするなんて耐えられないっ!
じゃあ周りがガッカリしている時に一人で喜ぶのはどうか、って話になりますが……

嬉しいか、やっぱり。ふふふ。

ピオニー [生活]

『芍薬』って子供の頃は嫌いな花でした。
まず名前が古臭い感じがしましたし、中国画に描かれた花がグロテクスクに見えたからです。実際の花を目にしたことは無かったにもかかわらず……

ですから、
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
などという言葉は、何だかピンときませんでした(実は百合もそこまで好みではない)。

そして、ウン十年が過ぎ……
イギリスに来てからの話ですが、とある庭であまりに美しく咲いている花があったので、
「これは何?」と聞いたら、
「Peony(ピオニー)よ」という答えが返ってきました。

帰ってから『Peony』を辞書で調べると、なんと『牡丹、芍薬』とあるではありませんか!ええっ?全然グロテクスクじゃないっ!素敵ー!!

それから徐々に芍薬が増えていった私の庭。
IMG_4058.JPG
たくさん花が咲くまでには年数がかかるのですが、待つ甲斐は十分にあります。香りもいい。花の命は短いけれど、株の形や葉っぱも美しいので気になりません。

最近、イギリスの友人に「木のヴァージョンのピオニーが欲しいわ」と言われて再び調べた結果、木のヴァージョンが『牡丹』で、草(冬には茎が枯れ、また春になると生えてくる)ヴァージョンが『芍薬』なのだと学びました、今更ですが。

ちなみに我が家にあるのは全て『芍薬』です。

旧交を温める [生活]

今回は仕事は殆ど無い帰国だったので、色々な人たちと久々の時間を楽しみました。

今でこそ廃校が危ぶまれている(1学年1クラスしかないらしい)我が小学校ですが、私の子供時代は4クラスありました。何を隠そう第二次ベビーブームの世代です。
それとは逆に当時は少なかったのが双子、私たちが学校中で唯一の双子でした。けれども四年生の時、何と他の双子が転校してきたのです。しかも私たちと同じ学年! しかも一卵性!! しかも女!!! 四人はあっという間に親友になりました。学校でも塾でも常に一緒、共有する記憶も沢山。
ですから、そんな私たちが四人揃って30年ぶりに再会した時の興奮ときたら……これは皆様のご想像にお任せいたします。
双子っていうのは他の双子を見分けるのもプロですからね、会ってすぐに分かりましたよ、お互いにどっちがどっちか。同じには見えないのです。でも最後に記念写真を撮ってもらおうと近くの親子連れのグループに頼んだら、その方たちの反応は……
「ぎゃ〜、双子が二組〜、左二人がそっくりと思ったら右二人も似てる〜、わーっ、わーっ」
双子だというだけで他人を面白がらせることができるなんてラッキーです。

小6の時、塾の夏期講習で数週間だけ一緒だった親友とも会いました。同じ学校に通ったことは無いのですが、会って以来ひたすら文通を続けていたという友人。今でもその手紙はとってあります。手乗りサイズ?だった小学生の私には、彼女は背が高くてお姉さまっぽく映っていたのですが、高校時代に再会した際には身長が逆転していました。小学校でほぼ成長が終わっていたとか、だから彼女は初対面からずっと変わりません。今でも華奢で女らしくて、そして真底優秀なのです。受験も就職も難なくクリアーし、キャリア志向でも問題なくいけたと思うのですが、いつも家庭を持つことに憧れていた友人。そんな彼女とお互いの娘を連れて会ったことに感慨を覚えました。母としての彼女に会うのは初めて。まだ2歳のお嬢さんはお転婆で可愛くて……そのお嬢さんを見つめる友人は更に素敵な女性になっていました。

そして高校の同窓会。
同じ高校に通っていた妹S子が、
「麻緒子も私も日本に帰るから開け!」
とほぼ命令して開かれた同窓会。
あまりに急(それも忙しい年末)だったのですが、それでも多くの友人たちに会うことができました。
側から見たらごく普通の中年の集まりなのでしょうが、何故お互いがこうも変わっていない!って感じるんだろう……本当に皆あの時のまま。嬉しいくらいそのまま。
とは言っても皆が年齢相当の経験やキャリアを積んできています。高校時代から変わらないように思える彼らも、話してみると、結婚(離婚)していたり、親になっていたり、その道の権威になっていたり、と色々な驚きが。
また次に集まる日が楽しみです。

このほか役者仲間にも会いましたが、それはまた改めて……

2015年 [生活]

皆様、あけましておめでとうございます。
IMG_3255.JPG
この年末年始は、生まれ故郷の東京で過ごしました。私の姉と妹もそれぞれスペインとイギリスから帰省、三人姉妹揃った日本での年越しは何と17年ぶりのことでした。前回は私/麻緒子が結婚する前だったものねぇ、と皆で感慨に耽って。私が娘を一人連れて行った以外、子供たちは夫に任せての帰省だったので、本当に昔に戻ったような姦しいお正月、普段は一人で静かに暮らす父も、女性5人(三人娘+妻+妻の母)に囲まれていた昔を思い出していたかもしれません。

三年前に長男と二人で日本に帰りました。ですから今回は第二子である長女M子の番。長男とは京都や広島などを旅しましたが、M子は
「そういうのに興味ないっ!東京で友達と会ったり、コンサートに行ったりしたいっ!」
と言うので、社交と舞台・コンサートに明け暮れることに。

三年前の長男はまだ身体も小さく、一緒に旅していても親子にしか見えなかったと思うのですが、M子は私より背が6〜7cmも大きいせいか様々な場所で色々と間違われました。
まずは羽田空港での入国審査。以前に未成年の息子と別々の窓口に行って注意された経験があるので、M子と一緒に行こうとすると……審査官が怖い顔で「来ないでくださいっ」と私を止め、M子のパスポートをチェックしながら「親が日本人なの?お父さんが日本人?」と聞くではありませんか。M子が私を指差して「あれが日本人の母です」と言うと、いつもはポーカーフェイスを装う審査官の顔に、ちらりとだけ”しまった”という表情が現れました。これがチョッと面白かったのですけれど。
そして税関。家族で一枚の申告書を手に二人一緒に行くと、「お二人は会社の同僚ですか?」って。M子は大憤慨。
「お母さんは嬉しいかもしれないけどさー、私が会社員ってどういうことー?!」

中身はまだまだ幼い14歳、でも他人の目には大人に映るのね……これは意外な発見でした。

古い建造物や、伝統的な和食を楽しんだ長男との旅。
コンサートやカラオケで一緒に騒ぎまくり、お喋りで大笑いし、でも次の瞬間にはご機嫌斜めになる反抗期の長女との旅。
全く違った色の日本滞在、でもどちらも楽しくて!

今回の滞在のことは少しずつ書いていこうと思います。

最後になりましたが、2015年が皆様にとって佳き年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

東京で…… [生活]

買ってしまいました。
日英間で持ち運びをするのは大変ですし……って言い訳です。
IMG_3190.JPG

ハッピー。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。