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赤毛のアン、そして想像力 [生活]

昨日は本当に落ち込みました。
珍しく家族揃って向かったレストランでも、文字通り頭を抱えて苦悶。何も手につかない、そんな状態でした。

前回、夫は生まれ育ったカナダに思い入れがある、と書きましたが、実は私もカナダに対して特別な思いを抱いています。
それは、子供のころに読んだ『赤毛のアン』の舞台がカナダ・プリンスエドワード島だったからです。

私はカナダ人ルーシー・モンゴメリーの書いたアン・シリーズが本当に好きでした。子供時代に夢中になった本は?と聞かれれば迷いなく『アン』と答えます。そして『あしながおじさん』。

我が家にあったアン・シリーズは村岡花子さんの翻訳で、ハードカヴァー函入り全10巻(『赤毛のアン』は知っていても、続きは読んだことがないという方も多いようですが、ストーリーはアンの子供の世代まで続いてゆきます)。
幸運にも?姉と妹は『大きな森の小さな家』から始まるローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズを好んでいたので、この10冊は私がロンドンまで持ってくることを許され、現在住んでいる家に一緒に引っ越してきました。

アンと『あしながおじさん』のジルーシャの共通点として真っ先に挙げられるのは、主人公が孤児の女の子だということかもしれませんが、私が注目するのは、二人とも想像力が人間にとって重要だと力説する点です。

ジルーシャは言います。
「いかなる人間にとっても重要な資質って、想像力だと私は思うの。それは相手の立場に立って考える助けになります。親切で、同情心や理解力のある人間にしてくれるのです。」

アンは相手を知ろうとするときに、まず想像力があるか無いかを見極めようとします。それが人間にとって一番大切な部分だと信じているからです。

読んだのはもう30年以上前なので、細かい部分は忘れているのですが、昨日ふと思い出したことがあります。アンの息子(多分次男だったと思う)ウォルター。

モンゴメリーがこのシリーズを書いている間に起きた第一次世界大戦。戦争は物語に色濃く反映されていきます。

カナダは英国連邦の一員として戦争勃発と同時に参戦しますが、徴兵制度はなく志願制でした。

ここから先は、実際の小説とはもしかしたらズレているかもしれません。
私が子供時代に読んで独自に解釈したこと、今思い出したいと願っていることが混ざっているかもしれません。


アンが自分に似ていると感じるウォルターは、想像力が豊かで感受性が人一倍強い。
彼は「戦争へ行く」ことは「殺し殺される場へ行く」ことだとしっかり理解しており、特に人を殺さなくてはならない状況を想像して耐え難いことだと思う。
志願制だから義務では無い。けれども他の者たちが自分の命を捨てていくときに、自分が安全な場所に残ることも彼の想像力は許さない。

そして彼は戦場へ行き、そこで命を落とす。

アンはその事実を知らされて打ちのめされるが、
「彼はきっと人を殺すことができずに、自分が死ぬことを選んだのだろう。誰かを殺して生き残るよりも幸せだったに違いない。」
と想像する。


カナダはこの戦争で(自分たちから遠く離れた場所で起きた戦争で)約六万もの命を失いました。

少しでも想像力がある人間ならば、戦争がどれだけ残酷で、怒りと無念さと絶望しか生み出さないものなのか分かると思います。

私は昨日、想像力によって打ちのめされました。

自分の子供が、身近な誰かの子供が、夫が、父親が戦争で誰かを殺すことを強要され、死んでいくかもしれない、そう想像せざるを得なくなったから……

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