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ニューヨーク日記 Part 2 [観劇]

 
 ロンドンを早朝に発つと、昼過ぎのニューヨークに着きます。往路は飛行機で7時間半、復路は7時間を切る距離なので、日本にいた時よりもニューヨークを身近に感じます(でも滅多に行かない)。

 5時に起きて午後早くには夫が滞在中のマンションに到着した私。その夜には『Daddy Long Legs』のプレビュー(初日前の試行錯誤期間)を観ていました。

 17年前に東京で着想を得た『Daddy Long Legs』が、遂に目標であったニューヨークに到達したのです。
 でもこの作品のことは最後にとっておき、観た順番は関係なく観劇記を書こうかと思います。


 9月21日に、今年の7月に亡くなったロジャー・リース(Roger Rees)のメモリアルが、『アラジン』公演中のニュー・アムステルダム劇場で行なわれました。
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 ウェールズ出身のロジャーは、トレヴァー・ナンが芸術監督だった時代のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で、その他大勢からスターへと成長していった俳優、夫Jの古い友人でした。

 RSCでは毎年、カンパニーに加わる新人のオーディションが行われます。
 トレヴァーによると、ある年(1970年前後)は予定よりも一人一人に時間がかかってしまい、最後の2人を見るために彼は延長料金の£5を払わなくてはならなかった、その二人が若かりし日のベン・キングズレー(映画『ガンジー』)とロジャーだったとか。
 £5とは大変お買い得でしたね。

 セリフが一言もない下積みから徐々に頭角を現し、30代前半のときにトレヴァーが演出、イアン・マッケランとジュディ・デンチが主演した名高き『マクベス』でマルコムを演じるまでになったロジャー。

 そんな彼を一躍有名にしたのが、トレヴァーと夫Jの共同演出による『The Life and Adventures of Nicholas Nickleby』(チャールズ・ディケンズ作『ニコラス・ニクルビー』を舞台化した作品)でした。

 作品はイギリスで大成功をおさめ、翌年にはツアーでブロードウェイへ。

 そこで未来の夫となるリック・エリス(『ジャージー・ボーイズ』脚本)と出会ったロジャーはニューヨークへ移り住み、アメリカに帰化し……
 そして30年以上暮らした場所で生涯を閉じたのです。71歳でした。

 今年4月にブロードウェイでオープンしたばかりの『The Visit(訪問者)』を5月半ばに途中降板したとき、悪性の脳腫瘍が理由だとは内々に知らされていたものの、7月のロジャーの訃報に夫はかなりのショックを受けていました。

 彼は俳優として一流なだけでなく、信じられないくらいハンサムなだけでなく、本当に素晴らしい人間だったのだ、と。

 大きな劇場を埋め尽くす人々、どれだけの人々に愛されていたか。

 彼に向けられたメッセージやパフォーマンス、映像に触れ、生前に1回お目にかかっただけの私も涙が止まりませんでした。

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 最後の共演者チタ・リヴェラが歌い、夫Jも思い出を語って。

 メモリアルは、このカップルの思いが詰まっている『Peter and the Starcatcher』(ピータパンの前編として2006年に書かれた小説が原作、リックが戯曲化してロジャーがアレックス・ティンバースと共同演出した作品)の出演者による合唱で感動的に締めくくられました。

 評判が良かったこの『Peter~』を残念ながら私は観ていませんが、『ニコラス・ニクルビー』の影響が強く感じられる作品だったそうです。実際にディズニーのプロデューサーが原作をロジャーに手渡しながら、『ニコラス〜』のような作品をと頼んだとか。

 そう、メモリアルで誰もが口にしたのは、いかに『ニコラス・ニクルビー』(ブロードウェイ上演は1981年)が衝撃的だったかということ。上演時間8時間半にもビックリしますが、40人ほどのカンパニーが400以上の役を演じるというスタイルが、当時は誰も目にしたことの無い斬新なアイディアだったのです。

 イギリスで語り継がれているのは理解できます。けれどもRSCのツアーとして14週間限定の公演しか行っていないブロードウェイで、この作品に対して今でも多くの人が強い思いを抱いていることに、正直言ってかなり驚きました。

 当時の私は2桁に届かない年齢だったので、遠い異国の舞台作品の存在など知る由もありませんでしたが、幸運なことに、TV放映されたときのDVD(全編収録)が存在します。

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 現在においても色褪せていない斬新な舞台。この作品があったからミュージカル『レ・ミゼラブル』が生まれたことを実感。

 1人の人生を中心に社会の構図を描きだす長編小説、それを戯曲化して流れを止めずに舞台上で語ってゆく。装置や大道具による明白なシーンチェンジが殆ど存在せず、メーンキャラクター以外の役者は場面ごとに違う役で登場するというスタイルも同じです。

 そうした『ニコラス〜』、『レ・ミゼラブル』の流れを汲む作品が、今回観劇したミュージカルのなかにありました。

 『ハミルトン(Hamilton)』。
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 辛口なニューヨークタイムス紙をして、
「家を抵当に入れても、子供を貸し出してでもチケットを手に入れるべき」
と言わせしめた、話題の作品です。

 チケットは来年の1月まで売り切れ、その週のチケットを手に入れようとしたら(噂によると)3,000ドルくらい払わなくてはならないらしい……

 幸運なことにチケットを用意していただき観ることができた私たち。

 わーお!でした。

 全編ラップ・ミュージック、そう『ラップ・ミュージカル』なのです。

 アメリカ建国の父の一人、合衆国憲法の起草者アレクサンダー・ハミルトンの生涯を、ラップとスタイリッシュなダンスで紡ぐ舞台は新しくてカッコよくて、とにかく魅せられました。

 脚本、作詞、作曲、そして主演までこなすのはリン-マニュエル・ミランダ(『イン・ザ・ハイツ』)、多才ですね〜。演出(トーマス・カイル)には客観的な目を持ってくる点に頭の良さを感じます。

 ラップ音楽?ダンス? 一体『レ・ミゼラブル』の流れを汲むのはどういった点なの? とお思いになるかもしれませんね。

 ミランダ自身がインタヴューで、『ハミルトン』がいかに『レ・ミゼラブル』の影響を受けているかを語っています。
 人間(誰かの人生)が経験する多くを凝縮して伝える、という点を真っ先に挙げていますが、それは目に見える形で現れています。

 ”盆(回り舞台)”が回っている!
 今では『レ・ミゼラブル』でさえ(ロンドン以外は)回っていないというのに。

 ”盆”の回らない新ヴァージョン『レ・ミゼラブル』には色々と不都合な点があります。凝縮した長い話を淀みなく伝える時に”盆”が果たす役割は大きいな、と改めて思いました。
 使い方も大いに洗練されていて。

 『ニコラス〜』&『レ・ミゼラブル』と『ハミルトン』の違いは、前者が架空の人物を描いているのに対して、後者は実在した人物を扱っていること。
 ハミルトンはニクルビーやヴァルジャンではありません。
 彼は、ディケンズやユゴーの考えた「社会における本当の正義や道徳とは何か」というテーマを体現するような人物ではないので、物語としての感動は小さいかもしれません。

 けれども建国期の史実が詰まったストーリーはアメリカ人にとって大きな意味を持つでしょうし(私のような異邦人にとっては教育的)、当時は奴隷でしかなかった黒人の音楽を使い、黒人俳優(半数以上)がワシントン、ラファイエット、バーやジェファーソンを演じるなんて、それ自体が道徳や正義の勝利であり、感動的でした。

 『ハミルトン』がオフ・ブロードウェイで幕を開けたのは、ロジャー・リースが病に倒れる前です。
 この作品を彼は観たのでしょうか。もし観ていたとしたら、自分が旋風を巻き起こした『ニコラス〜』との繋がりをきっと感じたに違いありません。

『恋の骨折り損』&『McQUEEN』 [観劇]

結局ストラットフォード滞在中に観た舞台は8本でした。13本中8本、何とか半分以上に足を運んだことになります。

多くの収穫、素晴らしい作品やプロダクションとの出会いがありました。

が!やはり注目すべきは『恋の骨折り損(演出:ジョン・ケアード)』でしょう(笑)。



いくら英語に慣れ親しんでも聞き取りにくいのがシェイクスピア。日本人にとっての古典歌舞伎のように、イギリス人でさえも理解できない部分があるのですから、私のような人間が分からないのは当然ですね。

ですから、馴染みのないシェイクスピア作品を観に行くときには、予習していくのを常としています。

恥ずかしいことに、『恋の骨折り損』をきちんと読んだのは初めてだったのですが……
「なんて面白いんだーっ!」
と叫ぶくらい(叫びませんでしたが)好みの作品でした、人間味に溢れていて。

学術や信仰もいいけれど、謳歌しない人生に何の意味がある?と問いかけてきます、彼独特のユーモアをもって。

そして女性の描かれ方も素晴らしい。

同じフェスティバルで『じゃじゃ馬馴らし』も上演されていましたが、私は観に行きませんでした。プロダクションが良くても(実際に良かったらしい)、どうしてもこの作品自体が好きになれません。女性の描かれ方が気になって仕方ないのです。

ジョン曰く、
「シェイクスピア自体、『じゃじゃ馬〜』を書いた後で後悔したんじゃないか? でなければ批判されたか。それで『恋の骨折り損』を書いた、と僕は思っている。」

けれどもこの作品、とにかく言葉、言葉、言葉で攻めてくる。そして他のどの作品よりもVerse(韻文)が多いために、言葉を駆使する目的で書かれた内容に乏しい作品、普通には理解し難い作品、といったレッテルを貼られて、上演されなかった時期が200年以上続いたとか。

信じられません!!! とにかく私は好きです。

ジョンの演出したプロダクションに話は戻ります。

弱さ、滑稽さを理解しつつも人間に対する愛情に満ちている。内容をしっかり伝えながら、決してユーモアのセンスは忘れない。ジョンらしさ満開のプロダクションでした(手前味噌)。

そして役者たちが素晴らしいのなんのって。唸ってしまうほどの芸達者たちが、それぞれの違いを生かして役を演じていました。

美術・衣装も美しければ、生演奏にこだわったオリジナル音楽も効果的で、ちょっと3月の日本語版『十二夜』を思い出したりもして。


で、『恋の〜』の初日が開いた翌日にロンドンに帰り、もうほぼその足で仕事に出かけたジョン。春にロンドンの小さな劇場で初演された『McQUEEN』がウェストエンドにトランスファーされたからです。



ある意味、『恋の骨折り損』とは対極にあるような作品。

数年前に自ら命を絶ったファッションデザイナーのアレクサンダー・マックイーンを題材に、コックニー(下町の労働者階級が話す英語、『ピグマリオン(マイ・フェア・レディ)』のイライザが話す英語)やアメリカン・アクセントで書かれています。

死に思いを巡らすマックイーンが、家に忍び込んできたミステリアスなアメリカ人の女の子ダリアと過ごす不思議な夜。彼女は一体何なのか?

ジェームズ・フィリップの本は、ファッションデザイナーという枠を超えた一人のアーティスト、一人の人間の苦悩を描き、独特の世界を作り上げています。

ファッション、というだけで軽薄な世界に違いないと嫌厭し、低く評価する人たちも(特に英国演劇界には)多いようです。
でもヴィクトリア&アルバート美術館で開催された『アレクサンダー・マックイーン展』が動員数の記録を塗り替えたのは、たかがファッションとは言い切れない、本物のアートが持つ美しさ、強さがあったからに違いありません。
ファッションは好き、でもファッション展は嫌いという私も、これには2度行きました。出来れば、あと2、3回観たかったくらい。

第一、脚本家のジェームズにしても、演出のジョンにしても、普段はファッショナブルの対極にいるような人たちです(笑)。決してファッションを語るお芝居ではありません。ぜひファッションへの偏見の目を捨てて観ていただきたい!

とは言いながら、演出された舞台はどこまでもスタイリッシュ。ジョンの引き出しの多さに改めて驚きました。
モダンな技術が駆使された装置、華やかな彩りを加える美しいダンサーたち(マシュー・ボーンのカンパニーでダンサーとして活躍するクリストファー・マーニーの振り付けは退廃的で美しい)、そして実際にマックイーンのコレクションで使われた音楽。

それでもドラマにはきちんと焦点が合っていて。

マックイーンを演じるスティーヴン・ワイト、言葉では表現できません。圧巻です。



『恋の骨折り損』はカナダ・ストラットフォードのフェスティバル・シアターで10月9日まで、『McQUEEN』はイギリス・ロンドンのシアター・ロイヤル・ヘイマーケットで11月7日まで上演されておりますので、お近くにおいでの際は是非ご覧ください。

『At Home in the World』2015 [観劇]

ロンドンはまだまだ肌寒くて、始まった夏物セールが冗談のように感じられます。

昨日の土曜日、『世界がわが家』の日本・東京公演が無事に行われました。行われたようです、というのが正確な表現でしょうか、残念ながら私は観ることができませんでした。

今回も日本語翻訳という形で関わらせていただいたこの作品、再演なので少しは楽かな〜と思ったら全くそんなことはなくて。新たな委託作品も加わった上に構成も大幅に変更となり、またまた夜なべ作業が続きました。

いつもギリギリに上がってくる英語台本。
昨年の日本初演時、パフォーマーやスタッフたちと東北の合宿所に篭って(「篭る」という言葉がドンピシャな、雪のなかの隔離された場所)作業をした日を思い出しました。
そのときは演出のジョンの通訳・助手も兼ねていたので、どうしても翻訳は夜の睡眠時間を割くことになってしまい……歳のせいか、寝る時間を削ったせいで体調を崩し……でも誰にも言えず、医者もいなくて……体調悪化のせいで一睡もできず(丸二日不眠)……と散々なことになっていました。
それでもその結果であるコンサートがあまりに素晴らしかったので、すべてが良い思い出となっています。

アメリカから始まった今年の公演、本当に参加したかったのですが、自分の子供たちを託す都合がつかず、泣く泣くロンドンに残って翻訳のみを担当することになりました(ディケンズが、自分の子供たちを全く顧みずに、チャリティーに精を出す母親を描いていたのを思い出して自戒)。
で、ジョンの通訳は他の方がしてくださるし、私は翻訳をするだけだから、と少し気楽に構えていましたが、台本の新たな部分に加え、リハーサルをしているヴァッサー大学から変更箇所が時差と共に毎日届いて、結局同じくらいハードな日々が続きました。気づいたら空が白んでいる、鳥が鳴いている〜、という状態。
そして蘇ってきたのは東北の日々。

だめだー、観に行かなくてはっ!子供たちに会いたい!スタッフの方たちにも会いたい!

二日間だったら都合はつく。
日本に飛ばなくなったヴァージン航空のマイレージも使えずに貯まったまま。
義務教育終了時の全国共通試験(GCSE)を終えて一週間休みになった長男Yを連れて行ってしまおう! 長男は2年前に、あしなが育英会が設立したウガンダの遺児の学校を訪ねています。彼もその子供たちに会いたい、と大乗り気。

数日後には飛行機に乗っていました。
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アメリカではヴァッサー大学のあるポキプシー、ニューヨーク、ワシントンと三公演が行われました。私たちが目指したのはニューヨーク。ニューヨーク自体がなんと15年ぶり。「あなたも住んでいたのよ、一ヶ月。」と長男に言いましたが、勿論覚えておらず。

Jazz at Lincoln Center でのコンサート。ああ、ただただ素晴らしかった!
昨年と同じようでもあり、まるで違うもののようでもあり。昨年の公演を踏まえた内容は興味深く、振付家が参加したステージングはより洗練されたものとなっていました。そして何よりも主役の子供たちに目を瞠りました。その成長ぶり。
背後にどれだけの困難を抱えているのか計り知れ無いものがあります。けれども、舞台上で輝く子供たちを観ていると、それだけでこの舞台には意味があると感じずにはいられません。

一層深まった自信をもってパフォーマンスをする子供たちを観て、改めて気づいたことがあります。その三者三様な表現そのものが、なんと強く国民性を示しているのだろう、ということ。
個性や知性といったものを優先させて自己主張を恐れないアメリカの若者たち。彼らの歌うロジカルに構築されたポリフォニックなハーモニー。
壮大で過酷な自然と共に生き、その美しさを知るウガンダの子供たち。大地から湧くエネルギーそのものを歓びとして、余計な加工を施さずに彼らは踊ります。
協調性や和を重んじ、誰よりも勤勉な日本の若人たちが、大勢であるにもかかわらず一糸乱れずに和太鼓を叩く姿。一番の進歩を見せたのも彼らでした。

三者が、どれに勝るとも劣らず見事。間近で違う文化に触れ、お互いがお互いのパフォーマンスを尊重して、この子供たちの視野はどれだけ大きく広がったことか!
コンサートのナレーションが語りかけたように、この違いは分かち合うべきものであって、争いを生むものではないはずです。

昨年のコンサートをきっかけとして、ヴァッサー大学合唱団のメンバーの一人がウガンダで先生となったそうです。この一つの結果を生んだだけでも、コンサートは成功だったと言えるのではないか、と私は思います。

憲法解釈をどうにかして戦争に参加できるようにする、争いを合法化しようとする、そんな人たちがこの世に存在することが異様に感じられる一夜でした。

29th Birthday! [観劇]

公演終了後にはトリコロールの紙吹雪が舞いました。
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宏美さん [観劇]

2月の末に日本へと旅立ち、怒濤のような1ヶ月を過ごして、数日前にロンドンに戻ってきました。

何をしていたかと言うと……
『世界はわが家』の記者発表(通訳)
『ダディ・ロング・レッグズ』再々演のリハーサル&初日を開ける(翻訳/通訳)
新訳『あしながおじさん』の出版(翻訳)
ワークショップ(通訳)
『世界がわが家』仙台公演のリハーサル&本番(翻訳/通訳)
『世界がわが家』東京公演のリハーサル&本番(翻訳/通訳)
合間合間に、未来の企画のためにミーティングやオーディションをする夫の通訳。

多くの経験をし、多くを考えた日々でした。改めて一つ一つを書いていこうと思っています。

という訳で充実した滞在でしたが、自由時間はほぼ皆無。旧交を温めたかったものの、とにかく時間が作れなくて残念なことも沢山ありました。次に日本に行く時には、もう少しゆっくり出来ればと願っています。

そんなタイトなスケジュールの中で、幸運だったこともありました。空き時間と、行きたかったコンサートの日程がピッタリと合ったのです。

『岩崎宏美コンサート あなたへ 〜いつまでも いつでも〜』
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(夫も宏美さんの大ファンです。この変わらぬ美しさの秘訣は何なのでしょう?!)


宏美さんの存在を知った当時、私は小学生。『すみれ色の涙』で宏美さんの歌声の虜となり、『聖母たちのララバイ』で完全にノックアウトされました。毎日のように声を張り上げて歌っていた私……クリスマスプレゼントを開けて、この2曲のシングルレコードを目にしたとき、狂喜乱舞したのを覚えています。

月日が流れて……役者になった私は、宏美さんと同じ舞台に立つことになりました。
実物の宏美さんは本当に飾らないお人柄で、カンパニーで一番若手だった私にも気さくに接してくださいました。真実だったので、「大ファンで……」「唯一(本当は2枚)持っているシングルレコードで……」などと言ってはみるものの、そういう褒め言葉は「ハハハハー!!!」と笑ってごまかされてしまう。「下町育ちだから!」とご自分でおっしゃる通り、気っ風の良いお姉様、という感じでした。
それでも私はいつでもドキドキ。そして、一ファンとして袖から歌を堪能させて頂いていました。

私の結婚が決まって、喜んでくださった宏美さん。真っ先にお祝いの言葉も頂きました。そうそう、宏美さんはいつでもパッと素敵な言葉をかけてくださる天才でもあります。

まったく違う立場ではありましたが、お子様と離れて生活なさっていた宏美さんと、複雑な家族構成の中に飛び込んでいった私とが言葉を交わす中で、何だか新たな関係も生まれたような気もします。

とは言いつつ、私が日本に帰国した時に会えるか会えないか、本当にたま〜にしかお目にかかれない宏美さん。日本国中をツアーしていらっしゃるので、私の日本滞在時にコンサートが東京で行なわれている確率はほぼ皆無。今回は本当にラッキーでした。

東京のコンサートとは言っても町田市。初めての町田は遠かった……。中学高校の友人(名前はまるっきり違うのですが、町田に住んでいたので「町田」と男子生徒から呼ばれていた)が、遠い遠いと言ってはいましたが、ここまでとは! 一度川崎市を通った? (後日、仕事でご一緒した音無美紀子さんから「そうなのよ、川崎市って東西に長いのよ」と教わり、改めて地図を見ながら、あの辺りの東京の形と川崎市、相模原市の関係を学びました。)

けれども!そんな遠くまで足を運んだ甲斐のある素敵な時間でした!!
実は夫も私も日本人歌手のコンサートは初めてだったので、全てが新鮮。コンサート会場の前列には親衛隊が固まって座っていて、開幕前に「コンサート中は掛け声等を発します、ご迷惑をおかけいたします」とのご挨拶が。礼儀正しい親衛隊ですね、「I ♡ 宏美」の鉢巻とペンライトが印象的でした。

変わらぬ美しい歌声を堪能した私たち。初めて生で『聖母たちのララバイ』を聴いた時には、親衛隊の方に交じって『ヒロリ〜ン!』と思わず叫びそうに。でも踏みとどまってしまいました。親衛隊の方たちとは席が離れていたので……臆病者です。

バンドメンバー紹介時に、夫と私の名前を口にされた宏美さん。
あの2枚のレコードを大事に大事に聴いていた小学生の私が想像だにしなかった瞬間でした。


Gertrud [観劇]

ジョンの舞台の初日を観にストックホルムへ。子供たちが小さかった頃は、海外での仕事には家族で行ったものです。でも長男が小学校に入学してからは、そういうわけにもいかず……異国(イギリス、日本以外)で彼の作品を観たのは本当に久しぶりでした。

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http://www.dramaten.se/Repertoar/Gertrud/

 Hjalmar Söderbergが百年以上前に書いた『Gertrud』。スウェーデンでは誰もが知っている(学校で学ぶような)傑作ですが、実際に上演されることは少なく、このDRAMATEN(王立劇場)でも60年ぶりだったとか。
 常に新しいものが求められるなか古臭いと敬遠されていたようですが、実際のテーマ・内容は普遍のもの……観客の誰もが自分の人生に照らし合わせて、胸をえぐられるような思いで観ている、客席はそのような張り詰めた雰囲気でした。言語はスウェーデン語でしたが、予め英語で脚本を読んでおいたので、私の心にも役者の一言一言が響きました。
 200の客席に四方を囲まれた小さくてシンプルな舞台、その逃げ場のない場で演じる5人の役者は皆素晴らしかった! そのうちの3人は、14年前に『夏の夜の夢』でハーミア、ライサンダー、スナウト(壁)を演じた役者さんたちで、その成熟ぶりに目を見張りました。
 この王立劇場は、名前どおり政府からの援助がある劇場ですが、ここが特別なのは劇場自体やスタッフのみならず、役者もサポートされている点です。毎年、大勢のなかから選ばれた優秀な役者が1〜2人ほど入団し、一旦入団するとほぼ終身雇用。役者として食べていけることが保証されます。途中で数年間休んで子供を生んだり、外部の劇場や映画に出演したりするのも自由。今回の5人のなかでは、一番若い役者(二十代)は、まだこれに属していませんが、いずれそうなることを夢見ているのかもしれません。とにかく、役者の質の高さは溜め息ものなのです。
 夫に言わせれば、仕事をするのにこれ以上素晴らしい国は無いそうです。役者のみならず、スタッフの質も最高なうえ、リハーサル期間もたっぷり。商業主義とはかけはなれているのですね。

 で!

 初日独特の興奮が冷めやらぬディナーパーティーを楽しんだあとで、自分たちの部屋に辿り着いたのは真夜中すぎ。翌日の飛行機のチェックインを済ませようとパソコンに向かう夫。劇場側が前々から予約しておいた自分自身のチェックインを済ませ、珍しく夫が手配した(初めてでしょうか。久々に初日を観に行かれそう、と言ったら、私の気が変わる前にとサッサと予約してしまった)私の座席のチェックインをしようとすると……
 「チェックインには早すぎます」との表示が……
 おかしいなあ? 10時間後のフライトなのに、自分はチェックインできたのに……

うゔぁあああああ〜3月になっている〜!!!

 夫、日付を一ヶ月間違えて購入していました。
 航空会社の営業時間はとっくに過ぎていたので、翌朝まで「このまま一ヶ月ストックホルムに住むのかなあ……」と考えながら寝ていた私。

 メモ:夫には舞台だけ任せておいて、飛行機の手配は自分ですべし。


THE PRIDE [観劇]

トラファルガー・スタジオにて『THE PRIDE』を鑑賞。素晴らしい本でした。
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CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY [観劇]

昨日は息子の15才の誕生日でした。15才! 信じられません。小さくて華奢、いつも妹よりも小さかった彼も、とうとう私の背を越しました。日に日に大きくなっています。

誕生日プレゼントは前倒しで夏休みにあげていましたが(父親に似て鳥好きの息子が、自然の中を旅するのに双眼鏡を欲しがったので)、何もなかったら淋しいと、皆でミュージカルを観に行きました。『チャーリーとチョコレート工場』。
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大成功!ここには書けませんが、想像力溢れる場面が次々と舞台上に繰り広げられた上に、最後には、あのイメージを観られただけでも来た甲斐があった、というような素晴らしいシーンが…
子供達も歓声をあげ、笑い、そして感嘆の溜め息を漏らしていました。
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演出はサム・メンデス。『アメリカン・ビューティー』でアカデミー賞を受賞、最近では『007/スカイフォール』を監督したこともあって、映画界で名を馳せていますが、もともとイギリス演劇界ではかなり有名だった方。子供達が同じ学校なので、たまにお目にかかりますが、大変気さくな感じの良い方です。運動会ではリレーで走る我が娘を大声で応援してくださって、それが娘の密かな自慢。

二年ほど前のこと。子供をどこへ通わせようか思案中だったサムが学校見学に訪れた際、構内を案内したのが我が息子でした。案内の途中で自分のアート作品があったので、「これが僕の作品です。」と息子が言うと、その作品に付けられた名札に反応したサムが、「もしかして君はジョン・ケアードの息子か?(ケアードは珍しい名前なのです)」と聞いたそうです。サムと夫は旧知の間柄なので友達として聞いただけだったのに、馬鹿な息子は「ふふ、僕の父親って有名人。」と勝手に思い込み、私たちに一切その話はしませんでした。
後日、劇場の客席で偶然に会ったサムが興奮しながらその邂逅について話してくれて、そんなことがあったのだと知った私。帰ってから息子に、「いい? あなたの父親が有名人だからではなくて、知人だったからなのよ。そして彼こそが今をときめくサム・メンデスなのよ!」と言い聞かせました。

昨年、記録を塗り替えるヒットとなった『スカイフォール』を観ながら息子が一言漏らしました。「僕が学校を案内したんだよなぁ。」そうよ、気付いていなかったけれどね。

CHIMERICA [観劇]

ハロルド・ピンター劇場で『CHIMERICA(チメリカ)』を観ました。もともとはアルメイダ劇場で始まった作品ですが、好評(殆ど全ての新聞が5スター、こんなことは珍しいです)だったために、ウェストエンドに移ってきたのです。今週いっぱいで公演が終わることもあって劇場は満員、立ち見もSold Outでした。
89年6月4日の天安門事件で撮られた有名な写真(タンクマン)を元に作られたストーリー。フィクションではありますが、真実を訴えかけてくる作品でした。早目にチケットを取っておいてよかった…

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ケイト [観劇]

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世の中には多くの有名なケイト(ウィンスレット? モス?)がいますが、私にとってのケイトはいつでもブランシェット。

そのケイトがロンドンの舞台に立つと知ったのは、舞台が始まる数日前でした。以前は子育てが忙しかったり、完売だったりで見逃していた彼女の舞台、今度こそはとチケットを取るために急いでパソコンに向かうと、演目のせいでしょうか、まだ席がある!
とは言っても、後ろか前の席のみ。普段は全体を観られる後方を選ぶのですが、自分でも意外なほどのミーハーな心が働いて、可能なかぎり前の席を探してクリックしてしまいました…B列の真ん中…ケイトの表情が見られる距離…

と、ルンルン一人で劇場へ行ってみると、なんとA列は取り払われており、B列は最前列。しかも本当にド真ん中!

暗転からパッと照明がつくと、2メートル前にケイトが座っていた!!!

でも、ミーハーな気持ちはそれまで。あっという間に引き込まれていきました。

ボート・シュトラウスはドイツの劇作家です。70年代から活躍し、その作品は英語にも翻訳されてイギリスでも上演されていたのですが、その後は根付くことが無く、若い世代には馴染みが薄い…私も知りませんでした。
今回の『Big and Small』が書かれたのは78年です。戦後、60年代の闘争を経た”西”ドイツという状況は、壁が崩壊して20年以上が経った今には当てはまらない、でも現代という大きな括りでは何となく共感が持てるかなぁ…

と思いたいのですが、正直言って本がどこまで説得力があるのか分からなかった、それほどまでにケイトの存在が全てのような舞台だったのです。

冒頭の20分間の独白から幕が閉じるまで、ほぼ舞台に出ずっぱりの彼女に釘付け状態。それは、技術をひけらかす演技ではなく、感情を剥き出しにする演技でもない、彼女が感じていることを感じることが出来る演技(勿論、それには技術が必要で、感情を剥き出すこともあるのですが)、わたしが演劇に求めるものそのものでした。

本同様、演出や舞台装置に関しても疑問は残ったのですが、時間が経って振り返ると(好みではなくても)あの無機質な感じは作品に合っていたのかもしれない、と思うような…でも何はともあれケイトの存在でしょう、と結局そこに戻って来てしまうのでした。

彼女が食べ散らかして足元に転がって来たピーナッツ、ピーナッツがあんなに神聖に見えたのは初めて。拾いたい、拾いたい、拾いたい、という気持ちを理性が止めました。つまらない理性を持っています。

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