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ニューヨーク日記 Part 2 [観劇]

 
 ロンドンを早朝に発つと、昼過ぎのニューヨークに着きます。往路は飛行機で7時間半、復路は7時間を切る距離なので、日本にいた時よりもニューヨークを身近に感じます(でも滅多に行かない)。

 5時に起きて午後早くには夫が滞在中のマンションに到着した私。その夜には『Daddy Long Legs』のプレビュー(初日前の試行錯誤期間)を観ていました。

 17年前に東京で着想を得た『Daddy Long Legs』が、遂に目標であったニューヨークに到達したのです。
 でもこの作品のことは最後にとっておき、観た順番は関係なく観劇記を書こうかと思います。


 9月21日に、今年の7月に亡くなったロジャー・リース(Roger Rees)のメモリアルが、『アラジン』公演中のニュー・アムステルダム劇場で行なわれました。
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 ウェールズ出身のロジャーは、トレヴァー・ナンが芸術監督だった時代のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で、その他大勢からスターへと成長していった俳優、夫Jの古い友人でした。

 RSCでは毎年、カンパニーに加わる新人のオーディションが行われます。
 トレヴァーによると、ある年(1970年前後)は予定よりも一人一人に時間がかかってしまい、最後の2人を見るために彼は延長料金の£5を払わなくてはならなかった、その二人が若かりし日のベン・キングズレー(映画『ガンジー』)とロジャーだったとか。
 £5とは大変お買い得でしたね。

 セリフが一言もない下積みから徐々に頭角を現し、30代前半のときにトレヴァーが演出、イアン・マッケランとジュディ・デンチが主演した名高き『マクベス』でマルコムを演じるまでになったロジャー。

 そんな彼を一躍有名にしたのが、トレヴァーと夫Jの共同演出による『The Life and Adventures of Nicholas Nickleby』(チャールズ・ディケンズ作『ニコラス・ニクルビー』を舞台化した作品)でした。

 作品はイギリスで大成功をおさめ、翌年にはツアーでブロードウェイへ。

 そこで未来の夫となるリック・エリス(『ジャージー・ボーイズ』脚本)と出会ったロジャーはニューヨークへ移り住み、アメリカに帰化し……
 そして30年以上暮らした場所で生涯を閉じたのです。71歳でした。

 今年4月にブロードウェイでオープンしたばかりの『The Visit(訪問者)』を5月半ばに途中降板したとき、悪性の脳腫瘍が理由だとは内々に知らされていたものの、7月のロジャーの訃報に夫はかなりのショックを受けていました。

 彼は俳優として一流なだけでなく、信じられないくらいハンサムなだけでなく、本当に素晴らしい人間だったのだ、と。

 大きな劇場を埋め尽くす人々、どれだけの人々に愛されていたか。

 彼に向けられたメッセージやパフォーマンス、映像に触れ、生前に1回お目にかかっただけの私も涙が止まりませんでした。

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 最後の共演者チタ・リヴェラが歌い、夫Jも思い出を語って。

 メモリアルは、このカップルの思いが詰まっている『Peter and the Starcatcher』(ピータパンの前編として2006年に書かれた小説が原作、リックが戯曲化してロジャーがアレックス・ティンバースと共同演出した作品)の出演者による合唱で感動的に締めくくられました。

 評判が良かったこの『Peter~』を残念ながら私は観ていませんが、『ニコラス・ニクルビー』の影響が強く感じられる作品だったそうです。実際にディズニーのプロデューサーが原作をロジャーに手渡しながら、『ニコラス〜』のような作品をと頼んだとか。

 そう、メモリアルで誰もが口にしたのは、いかに『ニコラス・ニクルビー』(ブロードウェイ上演は1981年)が衝撃的だったかということ。上演時間8時間半にもビックリしますが、40人ほどのカンパニーが400以上の役を演じるというスタイルが、当時は誰も目にしたことの無い斬新なアイディアだったのです。

 イギリスで語り継がれているのは理解できます。けれどもRSCのツアーとして14週間限定の公演しか行っていないブロードウェイで、この作品に対して今でも多くの人が強い思いを抱いていることに、正直言ってかなり驚きました。

 当時の私は2桁に届かない年齢だったので、遠い異国の舞台作品の存在など知る由もありませんでしたが、幸運なことに、TV放映されたときのDVD(全編収録)が存在します。

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 現在においても色褪せていない斬新な舞台。この作品があったからミュージカル『レ・ミゼラブル』が生まれたことを実感。

 1人の人生を中心に社会の構図を描きだす長編小説、それを戯曲化して流れを止めずに舞台上で語ってゆく。装置や大道具による明白なシーンチェンジが殆ど存在せず、メーンキャラクター以外の役者は場面ごとに違う役で登場するというスタイルも同じです。

 そうした『ニコラス〜』、『レ・ミゼラブル』の流れを汲む作品が、今回観劇したミュージカルのなかにありました。

 『ハミルトン(Hamilton)』。
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 辛口なニューヨークタイムス紙をして、
「家を抵当に入れても、子供を貸し出してでもチケットを手に入れるべき」
と言わせしめた、話題の作品です。

 チケットは来年の1月まで売り切れ、その週のチケットを手に入れようとしたら(噂によると)3,000ドルくらい払わなくてはならないらしい……

 幸運なことにチケットを用意していただき観ることができた私たち。

 わーお!でした。

 全編ラップ・ミュージック、そう『ラップ・ミュージカル』なのです。

 アメリカ建国の父の一人、合衆国憲法の起草者アレクサンダー・ハミルトンの生涯を、ラップとスタイリッシュなダンスで紡ぐ舞台は新しくてカッコよくて、とにかく魅せられました。

 脚本、作詞、作曲、そして主演までこなすのはリン-マニュエル・ミランダ(『イン・ザ・ハイツ』)、多才ですね〜。演出(トーマス・カイル)には客観的な目を持ってくる点に頭の良さを感じます。

 ラップ音楽?ダンス? 一体『レ・ミゼラブル』の流れを汲むのはどういった点なの? とお思いになるかもしれませんね。

 ミランダ自身がインタヴューで、『ハミルトン』がいかに『レ・ミゼラブル』の影響を受けているかを語っています。
 人間(誰かの人生)が経験する多くを凝縮して伝える、という点を真っ先に挙げていますが、それは目に見える形で現れています。

 ”盆(回り舞台)”が回っている!
 今では『レ・ミゼラブル』でさえ(ロンドン以外は)回っていないというのに。

 ”盆”の回らない新ヴァージョン『レ・ミゼラブル』には色々と不都合な点があります。凝縮した長い話を淀みなく伝える時に”盆”が果たす役割は大きいな、と改めて思いました。
 使い方も大いに洗練されていて。

 『ニコラス〜』&『レ・ミゼラブル』と『ハミルトン』の違いは、前者が架空の人物を描いているのに対して、後者は実在した人物を扱っていること。
 ハミルトンはニクルビーやヴァルジャンではありません。
 彼は、ディケンズやユゴーの考えた「社会における本当の正義や道徳とは何か」というテーマを体現するような人物ではないので、物語としての感動は小さいかもしれません。

 けれども建国期の史実が詰まったストーリーはアメリカ人にとって大きな意味を持つでしょうし(私のような異邦人にとっては教育的)、当時は奴隷でしかなかった黒人の音楽を使い、黒人俳優(半数以上)がワシントン、ラファイエット、バーやジェファーソンを演じるなんて、それ自体が道徳や正義の勝利であり、感動的でした。

 『ハミルトン』がオフ・ブロードウェイで幕を開けたのは、ロジャー・リースが病に倒れる前です。
 この作品を彼は観たのでしょうか。もし観ていたとしたら、自分が旋風を巻き起こした『ニコラス〜』との繋がりをきっと感じたに違いありません。
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