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ラブレター<前半> [舞台]

ロンドンに帰ってから10日。時差ボケも直りジムに通い出した私は、ここ数日筋肉痛に苦しんでいます。階段降りたくない……

日生劇場での『十二夜』も公演回数の半分を終えたそうです。早い、早すぎます。演劇の良さは生であること、それゆえに儚い命。この作品があと10数回で終わってしまうなんて。
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この作品、実際に舞台に立つ役者や音楽家たちだけでなく、ありとあらゆる力が結集して出来ています。まずは本を書いた作家と翻訳家がいて、それを立体化すべく演出家、装置・衣装デザイナー、照明家、音響家、ヘアメイク・アーティスト、音楽監督といった人たちがプランを立て、数多くの優秀なスタッフとともにそのプランを実現させていきます。制作や宣伝といったデスクで(稽古場で)作業する方たち、そして劇場の方々もいらっしゃいますし、日生劇場サイズの作品は本当に数え切れないほどの人々に支えられているのです。

そのうちの一人でも欠けていたらこの作品は存在しなかった、だから可能であるならその全員をご紹介したいところです。でも公の場ですので、とりあえずは舞台上に出ている方たちを私の知る範囲でご紹介。というか、これは私からのラブレター、ベンチの上に置いてある偽物ではありません!

20人いる出演者、まずは半分の10人です。私が知り合った順番で……

<宮川浩> 宮川さんとは’94の『レ・ミゼラブル』でご一緒しました。’94といえば宮川さんはマリウスでしたが、週に何回かはアンサンブルも演じていらして、その役の時は私とテナルディエ・インで不倫の逢瀬を重ねていました。だから付き合いも長い筈なのに私はずっと「みやわ」さんだと……思いっきり怒られました、「みやわ」だぞって(笑)。続いて「みや」でいいんだよ、とも言ってくださるお優しい方、でもなかなか癖は抜けませんね。先輩ですから。私は宮川さんは独特の声が大好き。彼の歌う『カフェソング』、いつもイカ女(修道女)への早替りを超特急で終わらせ、袖で聞き惚れていました。今回は何とも贅沢なことに、台詞は一場面のみですが、この一場面を宮川さんが喜んで引き受けてくださったことで、どれだけ作品が高級なものになったか!『レ・ミゼラブル』日本オリジナル・プロダクションのメンバーだった宮川さん、ジョンとの付き合いも一番長いのです。

<石川禅> 禅さんも’94の『レ・ミゼラブル』で出会いました。その時フイイ役だった禅さん、その後出世魚のようにマリウス、ジャヴェールと役を変えていかれ、そしてどれも見事に演じられました。そして今回、禅さんの新たな一面を披露することになるのではないでしょうか。禅さんご本人の柔らかな部分をもって役に同化していらっしゃいます。哀愁漂うサー・アンドルーに共感を覚える方は多そうです(というか実際に多い)。今回は朝日カルチャーセンターの講義でもご一緒させていただきました。その講義自体も面白かったのですが、稽古場からの移動のために図々しくも乗り込んだ禅さんの車、その道中に交わした会話が楽しかった! 私が通った東京コンセルヴァトリーに入りたかったけれど、年齢制限に引っかかってね、って。もしかしたら同期生になるところだったのかも?!

<青山達三> 青さんこと青山さんとは、’95の『天井桟敷の人々』(帝国劇場)で共演させて頂いています。その後、ジョンのワークショップ、『夏の夜の夢』(新国立劇場)で再会し、そして今回20年ぶりに同じカンパニーでお仕事させていただきました。初めてお会いした時から全く変わらない青さん……カンパニー最年長ながら、カンパニーで一番可愛らしいといったら失礼でしょうか。その不思議な魅力に皆が惹かれるのです。そして青山さんが台詞を言った時の真実味といったら! ジョンのフェアウェルパーティーでなさったスピーチには皆が涙しました。なんと30年以上前にNYでジョンの『Nicholas Nickleby』をご覧になったそうです。日本人でありながらシェイクスピアそっくりの容貌をお持ちの青山さん、ジョンが仕掛けた休憩直前のイタズラにご注目を。

<橋本さとし> さとしさんとは’06の『ベガーズオペラ』の時に初めてお目にかかり、その後’07、’09の『レ・ミゼラブル』で共演させていただきました。その後、ジョンの『ジェーン・エア』ではダークなヒーロー、ロチェスターを魅力的に演じられました。日本のミュージカル界において、中性っぽさが皆無という貴重な存在です。舞台では標準語で歌い、台詞を喋ってもいるはずなのですが、何故か特にカタカナ/外来語になると関西弁に聞こえる不思議。「プリュメ街」と「サー・アンドルー」が私のツボです。「リュ」や「ル」に大阪の匂いが……ジョンとは4作目ですが、コミックパートは意外にも初めて? さとしさん曰く、「大阪とイギリスの笑いの融合」。誰もに愛されるさとしさん、彼がいると稽古場が2〜3倍明るくなります。でもマルヴォーリオ自体はコミカルな人物ではありません、滑稽な真剣さが笑いにつながる、その真面目な部分も見事に演じられています。

<小西遼生> 遼生君とは’07の『レ・ミゼラブル』で知り合いました。私は、彼の嘘の無い歌やお芝居が大好きで、『レミ』のマリウス(このカンパニー3人目のマリウス!)は勿論のこと、『ジェーン・エア』でのシンジュンや貴族なども大いに注目していました。で、私はそういう中身で役者を好きになるので、今回改めて気づいたことが……美しいです。以前見ていた役が、あまり外見の美しさを問われるものでなかったせいでしょうか。そのような役でも外見ばかり気遣って演じる人もいますが、遼生君は違うということの証明ですね。ファンの方々には怒られそうですが、本当に今回まざまざと美に気付かされました。でも案外、この高貴で美しいということも演じていたりして。嘘です、本当に綺麗です。舞台上でギターも歌も披露、多才ですね。

<折井理子> もっちゃんとも’07の『レ・ミゼラブル』がきっかけで出会いました。’97に私が演じたマテロット役だったということもあり、親近感が。私はマテロットを演じながらコゼットのアンダースタディだったので、そうなのかな?と内心で思っていたのですが、その予想通り、ある日コゼット不在の中、稽古場で代役を演じることになった折井ちゃん。その美声と、あの難しい『プリュメ街』(だめだ〜、さとしさんの発音が耳から離れない)をあまりに見事に歌ったので驚きました。ぜひぜひ実際にも演じてほしい〜と思っていたら、実現しましたね。残念ながらその舞台は観られませんでしたが、きっと素晴らしかったでしょう。観たかったー。『キャンディード』の羊も当たり役でした。今回も短いセリフながら存在感大。何しろあの大きなお目目ですから!

<成河> ソンハとは’07の『夏の夜の夢』(新国立劇場)で知り合いました。幾つかの役を探すのに難航していたオーディション、パックもその一つだったのですが、ジョンが「凄い子を見つけた!」と興奮して帰ってきたのを今でも覚えています。彼のパックがどれだけ素晴らしかったか、それは私が改めて言う必要はないですね。何だって可能と思えるほど軽々と演じているように観えますが、本当はギリギリまで自分を追い詰めて(骨を折るまで)トコトンやる人。今回、ソンハ君の歌う「そしてまた骨を折るさ」という歌詞を書きながら苦笑いしていた私です。稽古場でも楽屋でも常にギターの練習をし続けていた彼ですが、歌声の素晴らしさもさることながら、音感の良さに私は密かに感心していました。頭が良く、次から次へと自らアイディアを出してくる、もう根っからの道化です。今後の活躍も大いに楽しみ!

<西牟田恵> 私は役者『西牟田恵』を20年以上前から知っています。横内謙介さんの作品で初舞台を踏むことが決まり、そのご縁で観に行った横内作品『怪談・贋皿屋敷』に出演していたのがめぐさん。その役者っぷりと声に惚れました。そしてT.P.Tの『あわれ彼女は娼婦』(デイヴィッド・ルヴォー演出)。私の演劇学校の教室がベニサン・ピットにあったので、当時のT.P.T作品は全て観ていますが、そこで触れためぐさんのお芝居と声に改めて痺れ……ご本人と直にお会いしたのは’07の『錦繍』(銀河劇場)のとき。ジョンが一緒に仕事することになり、わお、あのめぐさんと、と嬉しく思ったものです。彼女の演じた令子は本当にステキでした。あ〜、もう一回観たい。マライアも見所満載。色濃い男性陣の中で紅一点ですが、そのパワーは誰にも劣りません。彼女を見るだけで微笑んでしまいます。

<中嶋朋子> 朋子ちゃんを最初に認識したのっていつだろう?思い出そうとしても出来ないくらい子供の頃です。『蛍』を演じていた朋子ちゃんは、北海道の雪景色と同じくらい透明で、その魅力にハッとしたのを覚えています。実際に彼女と会ったのは’08の『私生活』(シアタークリエ)のとき。コメディーはやったことがなくて……という不安は何のその、見事なコメディエンヌぶりを発揮されていました。今回のオリヴィアもそうですが、とことん役になりきることで笑いを誘う、そういう彼女のコメディーセンスが大好きです(そしてご本人自体も面白い方なのですよ)。あの華奢な体のどこから出てくるの、という大きなスケールのお芝居は、テレビで見る姿とは全く違います。そういう適応能力も含めて本当に素晴らしい役者だと感嘆する毎日でした。朋子ちゃんとは同級生、そして同い年の子供を持つ母同士。めぐさんも同世代で二児の母ですし、たまに家庭の話をしたりしてホンワカしていました。

<壤晴彦> 壤さんにお目にかかったのは’09の『ジェーン・エア』初演の時です。壤さんと言えばあの低音の美声。カンパニーの食事会の時、若者たちに発声方法を伝授する壤さんを見て、宮川さんが「あの発声練習してもああいう声にはならないから。あれは持って生まれた声帯だから」とボソッと言ったのには大笑いしました。でも美声があれば誰もが名役者になれるわけではありません。稽古場にいらした翻訳家の松岡和子さんが、「壤さんが他のプロダクションでマルヴォーリオを演じた時は、壤さんはマルヴォーリオだと信じきっていたけれど、もう今はサー・トービーにしか見えない!」と大興奮していらっしゃいました。そういうことなのだと思います。日本の言葉を大切にされ、後進の指導にも積極的な壤さん、演劇倶楽部『座』を主催していらっしゃいます。ロンドンに行きつけの居酒屋があるとのこと、そこに呼び出される日を楽しみにしているところです。

我がブログ最長記録でしょうか。最後まで読んでくださった方はいらっしゃいますか? いらしたとしたら……ありがとうございます!

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