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『ナイツ・テイル』大千穐楽 [舞台]

今日は『ナイツ・テイル』の大千穐楽、無事に幕を下ろしたかな……と考えているところに懐かしの面々から FaceTime が。
なんて素敵なカンパニー、大阪へ飛んで行きたくなりました。
偏西風の背に乗り、思いと同じ速さでと!

一からミュージカルを創る、それは長い長い道のりでした、愛する湖水地方の山へ登るような。

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"登る"というアイディアに浮かれて楽しく荷造り。
登り始めは鼻歌交じりで緩やかな傾斜をスキップしたり。
中盤の微妙な勾配が続くと息が切れ脚は動かず、「ああ何故こんなことを……いつまで続くんだろう……」と考えるも下界はもう遥か遠く、先へ進むしかなくて。
最後の岩場は垂直の壁に立ち向かう感覚、霧でほとんど前も見えない状態の中、しがみつくようによじ登る。
そしてやっと頂上に辿り着く。

達成感はいつでもありますが、雨の寒さに震えながらそれを味わわねばならないときもあります。でも、ご褒美のように霧が晴れて息を呑むような景色が見える時もある。
今回の『ナイツ・テイル』の頂上では予期せぬ美しい景色が広がっていました。その一瞬前までは濃霧に覆われていましたが(笑)。

この作品には色々な形で関わりました。でも公演が終わった今、翻訳について書いてみようかと思います。

シェイクスピアを日本語に訳す、と言うと大抵のイギリス人は半信半疑、口には出さなくても「無理でしょう、だってどうやって?」と内心で思っています。

『ナイツ・テイル』の原作『二人の貴公子』が、ボッカッチオに基づいたチョーサーに基づくシェイクスピア&フレッチャー作であるように、シェイクスピアの作品の多くには原典があります。オリジナルな物語もあるにはありますが、すでに存在する話の焼き直しも多いので、ストーリーが同じならシェイクスピア、ということにはなりません。

公演のプログラムにも書きましたが、シェイクスピアの天才はストーリーではなくて言葉、スピーチにあるのです。

ブランクヴァース(押韻はなく韻律がある詩)の一種、弱強五歩格(音節の弱強が1行で5回繰り返される)で書かれたセリフは、聴いていて美しい。そして何を言うにも決して普通の言葉を使ったり、ありきたりな言い方はしない。その表現の独創性に魅了されるわけです。

よく読んでみれば設定も時間軸も矛盾だらけ、変装や誤解に至ってはツッコミどころが満載ですが、観客は登場人物同士の機知に富んだ会話、あるいは深遠な独白にシェイクスピアの哲学を感じとり、全てを納得してしまいます。

今回の『ナイツ・テイル』は『二人の貴公子』とは違う結末を迎えるほど大幅に筋が変えられています。脚本のジョン・ケアードは、ボッカッチオやチョーサーにも遡ってその内容も取り入れながら、同時に彼のオリジナルとなる現代的な要素も加えました。だからボッカッチオ、チョーサー、シェイクスピア、フレッチャーは『原作者』ではなく、『彼らの作品に基づく』というクレジットになっています。

それでも何故この作品をシェイクスピア的だと感じるか、それはところどころ使われているシェイクスピアの言葉に合わせるように、ケアードのオリジナル部分もほぼ全てが弱強五歩格で書かれているからです。(牢番の場面のいくつかの台詞だけ散文。シェイクスピアの作品では、高貴な人が韻文で話し、下々の者たちが散文で話すのが定番なので、その名残ですね。)

で、そのシェイクスピア調をどうやって訳すか。
翻訳には翻訳者の数だけ違うやり方があります。シェイクスピアの翻訳者はかなりの数にのぼりますが、誰一人として同じやり方はしていません。
どれが正解ということはないゆえ、自分が良いと信じる方向に進むのみ。

私が拘る(拘りたい)のは、とにかく独特の文体・リズムと表現のオリジナリティを損なわないようにすることです。それが具体的にどういうことか説明しだしたら、とてつもなく長くなるので、それはまた改めて書くことにします。

実は今回の『ナイツ・テイル』、韻律文ではあっても完全な古語で書かれてはいません。ポール・ゴードンの書く歌詞との摺り合わせ作業もあり、現代寄りになっています。古文をどこまで現代文にして良いか、という究極の難題からは多少逃れることができました。

が!ブランクヴァースと言いながら、気を利かせたい部分では韻を踏んでいる……

韻を踏んでいる場合は踏み、会話の端々に見られる比喩やレトリックはそのまま生かしつつもリズムに拘った結果、歌との距離が縮まって聞こえたのは面白い発見でした。日本語は抑揚が小さい単調な言語なので、リズムとメロディーを持つ歌が始まると(特にミュージカルは洋楽ですし)大きなギャップが生まれがちです。
韻文は自然な会話ではないかもしれませんが、音楽的だから繋がりが良いのでしょう。そういう意味で英語と近いのかも?

役者たちはどう感じていたのでしょうか?

その特殊さに最初は不安もあったかと思います。
そう、音響の本間俊哉さんがご親切にも『ナイツ・テイル』大阪公演の音源を送ってくださったのですが、1ヶ月の東京公演を経た役者陣の台詞回しが特に進化していることに驚きました。公演を繰り返す間に、独特の言い回しに慣れ、言葉の意味を掘り下げる余裕も生まれ、何よりもお互いの言葉を聞き、自分の声を聞いて発見したことが沢山あったのだろうと思います。まったく同じ台詞なのですけれど!
イギリスでもシェイクスピアに不慣れな役者と長けた役者では聞こえ方がまるで違う、面白い事実です。

では観客の皆様は?

ミュージカルとしては耳慣れない台詞回しに戸惑われた方もいらっしゃるかもしれません。でも観客側にも耳が慣れるという現象がおこります。
イギリスでもシェイクスピア作品を聴き慣れている人は、初めての人よりも断然理解が早い。

そして嫌だと思われた方もいらっしゃるでしょう。人の好みは様々です、仕方ありません。
イギリスでもシェイクスピアを嫌う人はいるのですから!


これまで翻訳に関わったシェイクスピア作品は2つありますが、この『ナイツ・テイル』は翻訳者として初めてクレジットされた作品でした。

あの景色を見てしまった今、また新たな山の頂上を目指して登ろうかと考えているところです。

『ハムレット』大千穐楽 [舞台]

日本時間の26日、『ハムレット』は無事に大千穐楽を迎えたそうです。「そうです」と言うしかありません、何しろロンドンにいますから。
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舞台に立つ側だった時には気付きませんでしたが、初日が開いて去る側は寂しい。

映像では役者の仕事が先に終わり、監督が編集等の仕上げ作業を行います。役者が懸命に演じても、最終的にはカットされたり、相手役の顔だけだったり、とあくまで監督のものですが……
舞台は初日が開いたら役者のもの。毎回観客の目の前で生で演じる、そこに映像の仕事では味わえない醍醐味があるわけです。演出家の意向を踏まえるか踏まえないかは本人次第(笑)。

新年早々の記者発表に続く翻訳確認作業、そしてまだ寒い2月半ばから始まった稽古。これらが遠い昔に感じられます。初日が開いて私はロンドンに戻り、夫J はすでにオペラ2作品を手がけ、とまったく違う世界におりましたが、その間も『ハムレット』は続いていたのです。

それも昨日で終わり。役者、そしてカンパニーをしっかり支えてくださったスタッフの方々へと思いを馳せました。本当に本当に素敵な人たち。写真は美女二人と。
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早くにカンパニーを去った身ではありますが、この作品に費やした準備時間は膨大なものでした。時間だけは誰よりも長いかも、その期間は1年以上になります。

まさかシェイクスピアを、まさか『ハムレット』を原語で読むことになろうとは!
英語の勉強を始めた中学生の自分に教えてあげたい。

夫J は勿論のこと、偶然にもカンバーバッチ『ハムレット』の演出助手となった継子S なども引っ掴まえて、ひたすら質問、議論を繰り返す毎日でした。
もっとちゃんと勉強しておきなさい、と中学生の私に言ってあげたい。

日本に来てからの困難も続きました。様々な価値観、文化の相違、乗り越えるべき壁は高くて。

それに追い討ちをかけるように、私生活も試練を突きつけてくる。

その結果……
髪は伸び放題(←ってもともと無精で美容院に行かない)。
白髪も増え放題(←でも無精だから染めない)。

子供達三人と帰ったロンドン・ヒースローで、入国審査の係員に
「あなたたちの親はどこ?」
と聞かれた時には、
「私だよー、この白髪が見えんかーい、『ハムレット』白髪がー」
と叫びたくなりました。

いまだにイギリスでは子供扱いという悲しさ、『ハムレット』をやった大人なのに。

けれども、そういう困難に向き合ったときにこそシェイクスピアの美しく根源的な言葉が心に響いてくる。

多くを学び、感じ、何よりも素敵な出会いや思いに溢れる充実した日々でありました。

唯一お役に立てたのは、稽古中に着用していたスカーフだという……舞台上のデザイン(カーテン等のファブリック)に採用されました。
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『Daddy Long Legs』ストリーム [舞台]


オフブロードウェイで上演中のミュージカル『Daddy Long Legs』のオンライン・ストリームがあと数分で始まります。ブロードウェイ初の試み!ぜひご覧ください。

http://livestream.com/davenporttheatre/daddylonglegs/images/106563491?t=1449830002193

McQUEEN @ St. James Theatre London [舞台]

プレビューが始まりました。来週の火曜日が初日です。

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ラブレター<後半> [舞台]

間が空いてしまいました。

突然右肩を襲った激痛。起きていても寝ていても痛い。右利きなので、書き物どころか全ての事が出来なくなり、左手もその右手を支えることに使われるのみ……そして夜は痛みで眠れない……

ジムにエアロビクス的なダンスをしに行ったら、いつものインストラクター(小柄な女性)が休暇を取っているからと、代行の男性(ムキムキ系)が現れました。エアロビクスは僕の専門じゃないからねって、普通だったら代行は同系統のインストラクターが来るものではないの?という皆の疑問には耳を傾けず、いきなりやらされた重量挙げ。それが原因?

もしかしたら玄関まで届けられた1袋10kgの薪を80袋、地下室まで運んだせい?
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あるいはパソコンに向かって長いラブレターを書いたから?

でなければただ単に年齢?

相変わらず不精な私、動かさなければ治るはず、と病院にも行かずに三日間痛みと戦いながら安静にして……ほぼ治りました。一体何だったのでしょう。

というわけで遅れてしまったラブレターの後半。この『十二夜』で初めて知り合った10人です。

<音月桂> 桂ちゃんこと音月桂ちゃん。実はロンドンに移り住んでから宝塚に触れる機会が無かったため、ここ10数年間の宝塚の役者さんたちをまるっきり存じ上げませんでした。宝塚トップだった方、という予備知識だけで今回初めて会った桂ちゃん、正直言って驚きました。それくらいナチュラルな女性だったからです。本人は「女になる努力をしているんですー」と口にするも、宝塚時代から彼女を知るヘアメークのEitaさんは「本当に男の子だったんだからー」とおっしゃるも、ちょっと信じ難いほど。何人も見てきた宝塚出身の方たちの中でも、これだけその香りを漂わせていない人も珍しい(と私は思いました)。けれどもセバスチャンを演じるときの、その男っぷりときたら!これだけ自然な女性で、尚且つ世界に類を見ない「女が男を演じる技術」を持っているのなら、彼女の可能性はどれだけ大きいのだろう、と感嘆せずにはいられませんでした。宝塚の方達の凄いところは、きちんと舞台人としての訓練を受け、そして休みなく舞台に立ち続け、とことん舞台を知り尽くしているところにあると思います。一朝一夕で舞台に立つ人とは比較にならないテクニックを持っているのです。人間として真っ直ぐで、瑞々しい感性を持ち、何でも可能な桂ちゃん、これから多くのジャンルに挑戦するでしょうが、舞台もずっとずっと続けていってほしい!ちなみに桂ちゃん、こちらも可笑しくなるほどの笑い上戸です。

<山口馬木也> マッキーこと山口馬木也さんは、その男前の外見と演じているアントーニオという役柄もあって、多くの女性のハートをがっちり掴んでおります。が!本当は本当は!大変お茶目な方なのです。カンパニーのマスコットのような?方なのです。いつ見ても、所構わずピルエットの練習。不安定な様子でクルッ、クルッと回っているので、何故?と聞くと「皆さん綺麗に回っていらっしゃるので僕もやりたいなと思って……」。でも、その皆さんはダンサーですから! それにダンスのレッスンでなく、いきなりピルエットの練習ですか?!素敵です。履歴書には洋画学科卒業とありましたし、殺陣はお得意だし、多くのことに興味をお持ちなのだと思います。そんな情熱的な性格が舞台上にも現れていますね。今後も様々な作品でご活躍なさることと思います。丁寧な態度、真正面から人を見据える目が魅力的なマッキー、もう軽々と3回転ぐらい回っている頃かなー。

<内田伸一郎> ウッチーこと内田伸一郎さんが自由劇場のご出身だと知ったのは、稽古中のこと。’94の『上海バンスキング』ラスト公演観ています!と言ったら、ウッチーさんも出演していらしたとのこと、わぁっと心の中で盛り上がってしまいました。自由劇場をよくご存知の方なら当たり前だろう、とおっしゃるところでしょうが、世代的にちょっとズレていて……’94の『レ・ミゼラブル』で共演した笹野高史さんにお誘いただき、あの公演を観ることができて本当に幸運でした。出演者が楽器を演奏するのが印象的だった舞台、ウッチーさんも今回の稽古場でギターを爪弾かれたり、ピアノの前で訳詞作業をしている私に質問をしてこられたり、かなり音楽に詳しくお好きなご様子。稽古中に挟まれるコメントは面白く、旅公演でヨーロッパを廻られたエピソードは興味深く、もっとお話する時間があればと悔やまれます。司祭トーパス、セリフは本来一箇所なのですが、色々な場所に登場なさって、重要な役割を果たしていらっしゃいますね。今後も色々な役柄を拝見したいです。

<佐々木誠二> 佐々坊こと佐々木誠二さんも低音の美声を稽古場に響かせていらっしゃいました。その低い声と、ちょっと強面風な容貌から受ける印象とは裏腹に、大変繊細でシャイな方。劇団昴に所属、熱心に細かい点までお芝居を追求なさっていました。美しい長髪を後ろに束ねていらっしゃる佐々坊さん。その髪に関して、ジョンがヘアメイクのミーティングで、「彼は髪を染めているだろうから、それを止めてもらえば良い感じに老け具合が出るのでは」なんて言ってしまったから大変。その旨を伝えられた佐々坊さんが私のところへいらして「実は染めていないんですよ。これは自然な黒髪なんだ、ってジョンさんに伝えていただけますか」って。「ごめんなさーい、ジョンはきっとその美髪に嫉妬しているんです!」と慌てる私でした。佐々坊さんが師匠と崇めるのはRADA(イギリス王立演劇学校)の校長だったNick、共通の知人発見です。石川禅さんとは学生時代の知り合いだとか、色々な繋がりがありますね。暇があるとダンベルで鍛えていらっしゃるように見えましたが、あれが黒髪の秘訣でしょうか? しかつめらしいヴァレンタインを好演なさっています。

<キムスンラ> スンラさん!スンラさんと言ったら笑顔が思い浮かぶぐらい、いつも素敵な微笑みを絶やしません。お仕事をして来た地方の銘菓を稽古場に差し入れ、それを熱心に勧めてくださる(本当に美味しい)姿が印象的でした。ノートを聞く際も真面目で熱心(でも微笑みは絶やさない)、でもイザ出番となると、「あれ? スンラさーん、スンラさーん、どこですかー?」本当に愛すべき方です。舞台上では、顔に傷のある役人を権威を持って演じていらっしゃいますが、柔和なパーソナリティのせいか、舞台裏では傷が冗談に見えます。劇団四季出身、残念ながら今回の作品で披露されることはありませんが、素晴らしい歌唱力の持ち主です。若々しくて年齢不詳、でも同じく若々しく年齢不詳の禅さんと誕生日がほんの数日違いという噂です。その時期はきっと温和な星回りなのですね。不思議面白優しいスンラさんでした。

<河野しずか> しずかさんは物腰が柔らかく優雅な女性です。話される言葉もその物腰と同じく、優しく響きが美しい。劇団民藝に所属していらっしゃるしずかさん、そのお名前通り静かな口調で熱く新劇を語られていました。私はいつもスタッフのデスクに座り、口を開くときはジョンの通訳として彼の言葉を話すという状況でしたから、稽古場で役者の皆様と私的な時間を持つことはなかなか難しい状況でした。が、しずかさんは毎日のようにフッと近くにいらして何か会話をしていってくださる、それに癒されておりました。サー・アンドルーを嗜めたり、オリヴィアにマルヴォーリオのことを思い出させたり。そういう場面でのしずかさんが美しくて大好きです。「新劇も観てくださいね」とのこと。はい、参ります!

<真瀬はるか> マナティこと真瀬はるか嬢、宝塚で男役だったカッコイイ女の子です。昔ながらの日本人体型な私は、桂ちゃんやマナティには目を瞠りっぱなし。ダンサーらしく二番の足で歩く後ろ姿も颯爽としていて。早いうちに宝塚を出る決心をしたマナティ、色々と考えた結果なのでしょう。意志を持って前進している姿が、歩く姿勢の良さとマッチしています。今回のプロダクションは、彼女なしではあり得ませんでした。それくらい見事に役目を果たしてくれています。青山さん演じるフェイビアンとマナティ演じるお小姓のペアも可愛い。で、男の格好ばかりしていますが、実はグラマーで女らしいことも私の目は見逃してはいません。私の母の友人にして我がピアノの恩師の友人の友人がマナティのお母様?という情報があって、そうしたらマナティも「そうそう、私の母の友人の友人が麻緒子さんの…………」って。世間は狭いのだか広いのだか分からない情報でした(笑)。

<扇田森也> シニアこと扇田森也くん。「しんや」という発音がジョンには「しにあ=シニア=senior」と聞こえるのだそうです。そしてまた同じカンパニー内に、「じゅんや」つまり「じゅにあ=ジュニア=junior」も存在するので、ジョンは稽古中ずっと二人を『Senior』『Junior』と呼び続けていました。年齢も森也くんが上だしピッタリだ!と。このことは余程面白かったらしく、ロンドンに帰っても話題にし続けている……というのは余談ですが、新国立劇場演劇研修所の出身で、稽古場では物静かで、でもいつも熱心に観ていて、アンダースタディとしての自主練も怠らず、ヒョロッと背が高く、お昼になると巨大なキンピラ入りお握りを頬張る、そんな森也くんは独特の存在です。男装したヴァイオラ、シザーリオにオーシーノ公爵のお気に入りの地位を奪われるも、それはそれで仕方ないさ、といった様子のキューリオは好感度大、森也くんならではのキャラクターになっています。

<生島翔> 翔くんはダンサーらしい。というのは稽古中やノートを聞く時に、足が何となくステップを踏んでいるので気づきました。翔くんはアメリカで学生時代を過ごしたらしい。というのは彼の話す流暢な英語がアメリカン・アクセントなので気づきました。翔くんは某アナウンサーの息子さんらしい。というのは、お父様自身がアフタートークショーでマイクを通してそうおっしゃっていたので間違いありません。そんな翔くん、討論で積極的に意見を出したり、頭も身体も切れの良い若者です。今回の舞台は良い機会だし、ギターも再開しようかなと言っていました。このカンパニー、ギターを弾ける人の率が高いです。ダンス以外の舞台に踏み出したのは最近のようですが、海外での修行を生かして既に色々と活躍している様子、これから先も大いに楽しみですね。

<平野潤也> カンパニー最年少、まさにジュニアな潤也くん。存在の仕方も一番現代風なので、『演劇集団円』の所属だと聞いた時にはびっくり。私の中の『円』は芥川比呂志さんや岸田今日子さんというイメージ、そして実際に存じ上げた方は南美江さんや佐古正人さん……って私の年齢が分かってしまう話でした。そうですよね、老舗の劇団にも次から次へと若い世代が入って継続していくわけです。このカンパニーも潤也くんのおかげで若さがあるのです。背が高くて華も添えてくれていますし。海外の戯曲を日本人が西欧スタイルでやると、その文化背景の違いを理解して表現することに加えて、似合わない衣装を着こなすという難題も待ち構えています。けれども今回の『十二夜』は背が高い男性が多いわ、ダンサー(彼らは姿勢や仕草で着こなすことができます)が多いわ、とにかく皆さんが見事にヨハンのデザインした衣装をものにしていらっしゃいます。ミュージカルでもないのに歌える方ばかりですし。歴史ある劇団、そしてこうした外部出演での経験を踏まえて、潤也くんも更に成長してくのでしょう、これまた先が楽しみです。

ラブレター<前半> [舞台]

ロンドンに帰ってから10日。時差ボケも直りジムに通い出した私は、ここ数日筋肉痛に苦しんでいます。階段降りたくない……

日生劇場での『十二夜』も公演回数の半分を終えたそうです。早い、早すぎます。演劇の良さは生であること、それゆえに儚い命。この作品があと10数回で終わってしまうなんて。
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この作品、実際に舞台に立つ役者や音楽家たちだけでなく、ありとあらゆる力が結集して出来ています。まずは本を書いた作家と翻訳家がいて、それを立体化すべく演出家、装置・衣装デザイナー、照明家、音響家、ヘアメイク・アーティスト、音楽監督といった人たちがプランを立て、数多くの優秀なスタッフとともにそのプランを実現させていきます。制作や宣伝といったデスクで(稽古場で)作業する方たち、そして劇場の方々もいらっしゃいますし、日生劇場サイズの作品は本当に数え切れないほどの人々に支えられているのです。

そのうちの一人でも欠けていたらこの作品は存在しなかった、だから可能であるならその全員をご紹介したいところです。でも公の場ですので、とりあえずは舞台上に出ている方たちを私の知る範囲でご紹介。というか、これは私からのラブレター、ベンチの上に置いてある偽物ではありません!

20人いる出演者、まずは半分の10人です。私が知り合った順番で……

<宮川浩> 宮川さんとは’94の『レ・ミゼラブル』でご一緒しました。’94といえば宮川さんはマリウスでしたが、週に何回かはアンサンブルも演じていらして、その役の時は私とテナルディエ・インで不倫の逢瀬を重ねていました。だから付き合いも長い筈なのに私はずっと「みやわ」さんだと……思いっきり怒られました、「みやわ」だぞって(笑)。続いて「みや」でいいんだよ、とも言ってくださるお優しい方、でもなかなか癖は抜けませんね。先輩ですから。私は宮川さんは独特の声が大好き。彼の歌う『カフェソング』、いつもイカ女(修道女)への早替りを超特急で終わらせ、袖で聞き惚れていました。今回は何とも贅沢なことに、台詞は一場面のみですが、この一場面を宮川さんが喜んで引き受けてくださったことで、どれだけ作品が高級なものになったか!『レ・ミゼラブル』日本オリジナル・プロダクションのメンバーだった宮川さん、ジョンとの付き合いも一番長いのです。

<石川禅> 禅さんも’94の『レ・ミゼラブル』で出会いました。その時フイイ役だった禅さん、その後出世魚のようにマリウス、ジャヴェールと役を変えていかれ、そしてどれも見事に演じられました。そして今回、禅さんの新たな一面を披露することになるのではないでしょうか。禅さんご本人の柔らかな部分をもって役に同化していらっしゃいます。哀愁漂うサー・アンドルーに共感を覚える方は多そうです(というか実際に多い)。今回は朝日カルチャーセンターの講義でもご一緒させていただきました。その講義自体も面白かったのですが、稽古場からの移動のために図々しくも乗り込んだ禅さんの車、その道中に交わした会話が楽しかった! 私が通った東京コンセルヴァトリーに入りたかったけれど、年齢制限に引っかかってね、って。もしかしたら同期生になるところだったのかも?!

<青山達三> 青さんこと青山さんとは、’95の『天井桟敷の人々』(帝国劇場)で共演させて頂いています。その後、ジョンのワークショップ、『夏の夜の夢』(新国立劇場)で再会し、そして今回20年ぶりに同じカンパニーでお仕事させていただきました。初めてお会いした時から全く変わらない青さん……カンパニー最年長ながら、カンパニーで一番可愛らしいといったら失礼でしょうか。その不思議な魅力に皆が惹かれるのです。そして青山さんが台詞を言った時の真実味といったら! ジョンのフェアウェルパーティーでなさったスピーチには皆が涙しました。なんと30年以上前にNYでジョンの『Nicholas Nickleby』をご覧になったそうです。日本人でありながらシェイクスピアそっくりの容貌をお持ちの青山さん、ジョンが仕掛けた休憩直前のイタズラにご注目を。

<橋本さとし> さとしさんとは’06の『ベガーズオペラ』の時に初めてお目にかかり、その後’07、’09の『レ・ミゼラブル』で共演させていただきました。その後、ジョンの『ジェーン・エア』ではダークなヒーロー、ロチェスターを魅力的に演じられました。日本のミュージカル界において、中性っぽさが皆無という貴重な存在です。舞台では標準語で歌い、台詞を喋ってもいるはずなのですが、何故か特にカタカナ/外来語になると関西弁に聞こえる不思議。「プリュメ街」と「サー・アンドルー」が私のツボです。「リュ」や「ル」に大阪の匂いが……ジョンとは4作目ですが、コミックパートは意外にも初めて? さとしさん曰く、「大阪とイギリスの笑いの融合」。誰もに愛されるさとしさん、彼がいると稽古場が2〜3倍明るくなります。でもマルヴォーリオ自体はコミカルな人物ではありません、滑稽な真剣さが笑いにつながる、その真面目な部分も見事に演じられています。

<小西遼生> 遼生君とは’07の『レ・ミゼラブル』で知り合いました。私は、彼の嘘の無い歌やお芝居が大好きで、『レミ』のマリウス(このカンパニー3人目のマリウス!)は勿論のこと、『ジェーン・エア』でのシンジュンや貴族なども大いに注目していました。で、私はそういう中身で役者を好きになるので、今回改めて気づいたことが……美しいです。以前見ていた役が、あまり外見の美しさを問われるものでなかったせいでしょうか。そのような役でも外見ばかり気遣って演じる人もいますが、遼生君は違うということの証明ですね。ファンの方々には怒られそうですが、本当に今回まざまざと美に気付かされました。でも案外、この高貴で美しいということも演じていたりして。嘘です、本当に綺麗です。舞台上でギターも歌も披露、多才ですね。

<折井理子> もっちゃんとも’07の『レ・ミゼラブル』がきっかけで出会いました。’97に私が演じたマテロット役だったということもあり、親近感が。私はマテロットを演じながらコゼットのアンダースタディだったので、そうなのかな?と内心で思っていたのですが、その予想通り、ある日コゼット不在の中、稽古場で代役を演じることになった折井ちゃん。その美声と、あの難しい『プリュメ街』(だめだ〜、さとしさんの発音が耳から離れない)をあまりに見事に歌ったので驚きました。ぜひぜひ実際にも演じてほしい〜と思っていたら、実現しましたね。残念ながらその舞台は観られませんでしたが、きっと素晴らしかったでしょう。観たかったー。『キャンディード』の羊も当たり役でした。今回も短いセリフながら存在感大。何しろあの大きなお目目ですから!

<成河> ソンハとは’07の『夏の夜の夢』(新国立劇場)で知り合いました。幾つかの役を探すのに難航していたオーディション、パックもその一つだったのですが、ジョンが「凄い子を見つけた!」と興奮して帰ってきたのを今でも覚えています。彼のパックがどれだけ素晴らしかったか、それは私が改めて言う必要はないですね。何だって可能と思えるほど軽々と演じているように観えますが、本当はギリギリまで自分を追い詰めて(骨を折るまで)トコトンやる人。今回、ソンハ君の歌う「そしてまた骨を折るさ」という歌詞を書きながら苦笑いしていた私です。稽古場でも楽屋でも常にギターの練習をし続けていた彼ですが、歌声の素晴らしさもさることながら、音感の良さに私は密かに感心していました。頭が良く、次から次へと自らアイディアを出してくる、もう根っからの道化です。今後の活躍も大いに楽しみ!

<西牟田恵> 私は役者『西牟田恵』を20年以上前から知っています。横内謙介さんの作品で初舞台を踏むことが決まり、そのご縁で観に行った横内作品『怪談・贋皿屋敷』に出演していたのがめぐさん。その役者っぷりと声に惚れました。そしてT.P.Tの『あわれ彼女は娼婦』(デイヴィッド・ルヴォー演出)。私の演劇学校の教室がベニサン・ピットにあったので、当時のT.P.T作品は全て観ていますが、そこで触れためぐさんのお芝居と声に改めて痺れ……ご本人と直にお会いしたのは’07の『錦繍』(銀河劇場)のとき。ジョンが一緒に仕事することになり、わお、あのめぐさんと、と嬉しく思ったものです。彼女の演じた令子は本当にステキでした。あ〜、もう一回観たい。マライアも見所満載。色濃い男性陣の中で紅一点ですが、そのパワーは誰にも劣りません。彼女を見るだけで微笑んでしまいます。

<中嶋朋子> 朋子ちゃんを最初に認識したのっていつだろう?思い出そうとしても出来ないくらい子供の頃です。『蛍』を演じていた朋子ちゃんは、北海道の雪景色と同じくらい透明で、その魅力にハッとしたのを覚えています。実際に彼女と会ったのは’08の『私生活』(シアタークリエ)のとき。コメディーはやったことがなくて……という不安は何のその、見事なコメディエンヌぶりを発揮されていました。今回のオリヴィアもそうですが、とことん役になりきることで笑いを誘う、そういう彼女のコメディーセンスが大好きです(そしてご本人自体も面白い方なのですよ)。あの華奢な体のどこから出てくるの、という大きなスケールのお芝居は、テレビで見る姿とは全く違います。そういう適応能力も含めて本当に素晴らしい役者だと感嘆する毎日でした。朋子ちゃんとは同級生、そして同い年の子供を持つ母同士。めぐさんも同世代で二児の母ですし、たまに家庭の話をしたりしてホンワカしていました。

<壤晴彦> 壤さんにお目にかかったのは’09の『ジェーン・エア』初演の時です。壤さんと言えばあの低音の美声。カンパニーの食事会の時、若者たちに発声方法を伝授する壤さんを見て、宮川さんが「あの発声練習してもああいう声にはならないから。あれは持って生まれた声帯だから」とボソッと言ったのには大笑いしました。でも美声があれば誰もが名役者になれるわけではありません。稽古場にいらした翻訳家の松岡和子さんが、「壤さんが他のプロダクションでマルヴォーリオを演じた時は、壤さんはマルヴォーリオだと信じきっていたけれど、もう今はサー・トービーにしか見えない!」と大興奮していらっしゃいました。そういうことなのだと思います。日本の言葉を大切にされ、後進の指導にも積極的な壤さん、演劇倶楽部『座』を主催していらっしゃいます。ロンドンに行きつけの居酒屋があるとのこと、そこに呼び出される日を楽しみにしているところです。

我がブログ最長記録でしょうか。最後まで読んでくださった方はいらっしゃいますか? いらしたとしたら……ありがとうございます!

初日が開いて…… [舞台]

3月8日、日生劇場で『十二夜』が開きました。
そして私はもうロンドンの自宅にいます。なんだか信じられません。

帰った翌日は東日本大震災からちょうど四年という日。心は日本をなかなか離れられない……
そのような心に、ジョンが稽古場で言った言葉が蘇ります。1幕2場/ヴァイオラと船長の場面でのことです。

「ヴァイオラは父を亡くし、つい今しがた船の難破で兄を失ったばかり。そしてオリヴィアもまた父と死別し、最近には兄をも亡くして七年間喪に服すと宣言した。
だから船長がオリヴァアの身の上をヴァイオラに説明するときは、同情、気遣い、遠慮深さの混じった気持ちがこもる。そしてヴァイオラが『その方にお仕えしたい』と言うのは、他の誰よりも彼女の気持ちを理解できると確信するからなんだ。」

この様な共感や思いやりが、これからの日本を満たしてくれればと思います。

この『十二夜』のプロダクションは、そうしたシェイクスピアの言葉の裏にある思いに彩られ、本当に人間味溢れたものとなっています。



ぜひ多くの方に観ていただきたい!

『十二夜』 [舞台]

来年(2015年)3月、シェイクスピアの『十二夜』が日生劇場にて上演されます。夫ジョンの演出です。
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シェイクスピア。
この名前を聞くと、我々日本人は何だか畏まってしまいがちですが……
かく言う私も、実は苦手だったのです。作品を読み、舞台は数多く観ていましたが、言語の仕組みの違い、西洋式論理、歴史的背景の知識不足、といった理由から、これは私の世界ではない、日本人がやるものではない、と撥ね付けていた時期がありました。

そのような私が英国に住むことに。
シェイクスピアの生地で実感したこと、それはシェイクスピアがイギリス人の一部になってしまっているということです。学校に通う子供たちの国語(英語)教育とは「切っても切れない」関係であり、英文学を開けばギリシャ神話や聖書と並んで数多くの引用がなされ、劇場では常に幾つものプロダクションが上演されていて、それ以外の分野にも大きな影響を与え続けている、それがシェイクスピアなのです。

英語の理解が深まり、英国人、英国の歴史や地理に触れ、そして何よりも自分たちのものとして消化している役者たちがオリジナルの言葉で演じる舞台を観ているうちに、私のシェイクスピアへの頑なな拒絶が和らいでいきました。

でもまだ『シェイクスピアと日本』という点に於いて疑問は残ったままで……

そんな疑問が氷解したのは、2007年にジョンが初めてシェイクスピアを日本人キャストで演出した『夏の夜の夢』の時です。
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撮影:谷古宇正彦

シェイクスピアが書いたオリジナルの言葉は勿論美しいけれど、内容そのものが世界共通なのだからと、他言語での上演にも抵抗が無いジョン。一つ一つの台詞の意味を掘り下げ、必要なときは翻訳を修正していくのを間近で見ていました。それを役者に伝えて出来あがった作品は、堅苦しいものでも理解不能なものでもない、ただ心から共感し楽しめる時空間だったのです。私はスウェーデンで同じプロダクションを観ていますが、言語の違いを越えて、それは同じことを伝えていました。

そしてもう一つ、黒澤明の『蜘蛛巣城』との出会いからも大きな影響を受けました。見事なアダプテーション、数多く映像化されているシェイクスピアですが、私はこれが最高傑作だと思っています。シェイクスピアの普遍性を証明していました。

『十二夜』は人間の素晴らしさ、面白さ、残酷さ、悲しさ、愚かさ……多くの要素が絡み合った作品です。複雑なジェンダーが愛を一筋縄ではいかないものとし、友情でさえ精神的主従関係によって生半可なものではなくなる。そんな世界の現実を写しとっています。

今回私は演出家アシスタントとして参加させて頂くことになりました。
現在猛勉強中ですが、及第となるまでには時間がかかりそう。けれども、シェイクスピアを楽しめる今の私にとっては素晴らしい時間となっています。

世界がわが家 Part 2 [舞台]

前回書いたコンサートの様子です。

素晴らしかった子供・若者たち。
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ダンスや音楽の指導者たち。和太鼓の指導だけではなく、作曲も担当なさった佐藤三昭氏。ヴァッサー大学合唱のディレクターは、舞台上で気高く輝くクリスティーン。ウガンダダンスの指導者、ファルークはドラムも演奏。その他、子供たちを先導した和太鼓・篠笛の先輩演者、ピアノ伴奏者、木琴奏者……全ての方々が佳きスピリットに満ちていて、それが現れた舞台でした。
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そしてナレーターの音無美紀子さん。
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優しく慈愛溢れる音無さん。ご自身でも東北支援のための『音無美紀子の歌声喫茶』という活動をしていらっしゃいます。ナレーターを探していたとき、以前からご家族とお付き合いのある音無さんがピッタリなのではと直接お伺いすると、すぐに快く引き受けてくださいました。
ナレーターとして素晴らしいだけではありません。鞄からは美味しいコーヒー、スープや葛湯といったものが次から次へと出てくるわ(メアリー・ポピンズのバッグのように)、稽古場にトマトやお団子の差し入れが届くわ、と彼女の心遣いには誰もが癒されるのでした。
音無さんの長女、麻友美ちゃんもずっと一緒。私は麻友美ちゃんが10歳の頃から知っています。今は立派な女優さん、付き人のようにお母様をサポートしたり、若者の朗読を指導したりと大活躍でした。
姉妹のようにそっくりな美人母娘。お仕事でご一緒するのは何と今回が初めてのことでしたが、またぜひご一緒できればと思いました。

そして、写真は載せられませんが、このコンサートの見えない部分で情熱をもって働いていた「あしなが育英会」とヴァッサー大学の面々、美術、照明、音響、舞台監督、通訳、多くのスタッフの方々を忘れてはなりません。「あしなが奨学生」もボランティアで手伝ってくれました……あんなにも短い期間で、この舞台を仕上げることが出来たのは、全ての力が結集した結果です。本当に素晴らしい人の集まりでした。

このコンサート、今後はニューヨーク、ワシントン、そしてカンパラで行なわれる予定です。

世界がわが家 Part 1 [舞台]

今回の日本滞在中、あるチャリティーコンサートに関わらせて頂きました。

「あしなが育英会」とヴァッサー大学が企画したコンサート『世界がわが家』。
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舞台上で、ウガンダのエイズ遺児、ヴァッサー大学の学生、東北の被災地の子供がダンス、合唱、太鼓(ドラム)のパフォーマンスを繰り広げました。

関わることになったきっかけは、2012年のミュージカル『ダディ・ロング・レッグズ』初演時に遡ります。震災の傷跡も生々しく、人々の心が重くなっている時にミュージカルを上演する……あの当時、アーティストたちの心の中には、多くの葛藤がありました。舞台作品を上演することに意味があるのか、誰かを元気づけることになるのか、そもそも自分たちのやっていることは重要なのか……そのようなことが頭をめぐり、でも答えは出ない……

そんなとき、「あしなが育英会」がふと頭に浮かびました。街頭募金で馴染みのある団体。『ダディ・ロング・レッグズ』の原作『あしながおじさん』から名前をとっている団体。名前どおり、親を亡くした子供たちの援助を目的としている団体。
地震や津波で遺児となった子供たちに何か出来るのではと、この組織の存在を夫に知らせました。夫は勿論、東宝もすぐに賛同してくださり、「あしなが育英会」に協賛という形で入って頂くことになりました(そして、一ヶ月にも満たない上演期間中に、心温かいお客様から集まった募金は700万円近くになったそうです)。

記者会見で初めてお目にかかった「あしなが育英会」の玉井さんは、穏やかな物腰の裏に強い意志を秘めた方でした。玉井さんは日本の遺児のみならず、援助の手をアフリカの孤児たちにも差し伸べていらして、「百年構想」という、アフリカ大陸の全ての国から毎年一人ずつ、100年続けて先進国の大学に通わせる、という壮大な計画をお持ちです。若者たちの受け入れ先として、早稲田大学など日本の大学、ヴァッサー大学(『あしながおじさん』の作者、ジーン・ウェブスターが出た大学)を始めとするアメリカの大学、イギリスのオックスフォード等に積極的に働きかけていらして……

その活動の一環として、このコンサートの企画がありました。日本国内だけではなく、世界中に「あしながさん(募金をして下さる方の呼称)」を増やしたい、でもそのためには、団体を知ってもらわなくてはならない。誰も知らない団体にお金を寄付はしませんから。どういう子供たちを援助するのか、どういう場所で教育するのか。そこから、ウガンダ、日本、アメリカの子供、若者たちの共演することになったのです。

『ダディ・ロング・レッグズ』をご覧になった玉井さんのご依頼を受け、夫がボランティアでの演出を引き受けました。彼も玉井さんのお考えに大いに賛同したからです。それが一年ちょっと前でしょうか。以来、ウガンダの寺子屋を訪ねたり、ヴァッサー大学の合唱団を見学したり、東北の和太鼓を観に行ったり、メールやSkypeで打ち合わせをしたり、と準備を重ねてきました。

ですから、夫の頭の中には、大まかなコンサート像はあったとは思います。けれども、なにせ子供たちもスタッフも世界各地に散らばっていたので、結果的に、皆が同じ場所で稽古出来るのはコンサート前の3日間だけという、かなり無謀なスケジュールになってしまいました。

台本の翻訳と夫の通訳を引き受けた私も同様。リハーサルの通訳をしながら、同時に台本を翻訳していく時間などあるわけがなくて(台本を受け取ったのは稽古開始時)、睡眠時間は平均2〜3時間ほど?!

皆、ハラハラドキドキしていたのでは……

けれども、これほどまでに胸を熱くした時間はありませんでした。痛みと悲しみに涙を流した次の瞬間には感動と希望に打ち震えている。言葉の壁を乗り越えて皆で踊り、歌い、笑って。
東北の山の中、Wifi環境の無い合宿所で三食のご飯を一緒に食べ(子供たちはお風呂も一緒!)、稽古をし、遊んだ三日間は決して忘れないでしょう。

コンサートは素晴らしいものでした。何が素晴らしかったか。それは「子供たち」に尽きます。まるで違う環境、違う境遇にいた子供や若者たちが、あの舞台上で同じ思いを共有して、最上のパフォーマンスを見せたこと、それがひたすら感動的だったのです。利益や収益を生み出さなくても、この経験を分かち合った若者たちを生み出したことに、このコンサートの意義があったと私は思います。
稽古場で流し足りなかった涙があったことに自分でも驚きました。

そして、震災後に芸術の重要性に対して抱いた疑問がフッと消えていったのです。


東京公演後、今後の予定に関するミーティングがあり、そこで様々な意見に耳にしながら考えました。コンサートの主題でもある、アフリカの子供たちへの援助についてを。

途上国への援助の重要性は否定しません。けれども、例えばアフリカの子供たちや若者を先進国で教育すること、アフリカの国々を今の先進国のようにすることが援助なのか? 先進国の価値観で考えない、同じ轍を踏ませない、それも大切なのではないか、と。

心に大きな傷や不安を抱えながらも、踊いながら、歌いながら、そして遊びながら屈託の無い笑顔を見せる子供たち。彼らの未来のために、もっと心と時間を割いていきたいと思います。

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