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世界がわが家 Part 1 [舞台]

今回の日本滞在中、あるチャリティーコンサートに関わらせて頂きました。

「あしなが育英会」とヴァッサー大学が企画したコンサート『世界がわが家』。
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舞台上で、ウガンダのエイズ遺児、ヴァッサー大学の学生、東北の被災地の子供がダンス、合唱、太鼓(ドラム)のパフォーマンスを繰り広げました。

関わることになったきっかけは、2012年のミュージカル『ダディ・ロング・レッグズ』初演時に遡ります。震災の傷跡も生々しく、人々の心が重くなっている時にミュージカルを上演する……あの当時、アーティストたちの心の中には、多くの葛藤がありました。舞台作品を上演することに意味があるのか、誰かを元気づけることになるのか、そもそも自分たちのやっていることは重要なのか……そのようなことが頭をめぐり、でも答えは出ない……

そんなとき、「あしなが育英会」がふと頭に浮かびました。街頭募金で馴染みのある団体。『ダディ・ロング・レッグズ』の原作『あしながおじさん』から名前をとっている団体。名前どおり、親を亡くした子供たちの援助を目的としている団体。
地震や津波で遺児となった子供たちに何か出来るのではと、この組織の存在を夫に知らせました。夫は勿論、東宝もすぐに賛同してくださり、「あしなが育英会」に協賛という形で入って頂くことになりました(そして、一ヶ月にも満たない上演期間中に、心温かいお客様から集まった募金は700万円近くになったそうです)。

記者会見で初めてお目にかかった「あしなが育英会」の玉井さんは、穏やかな物腰の裏に強い意志を秘めた方でした。玉井さんは日本の遺児のみならず、援助の手をアフリカの孤児たちにも差し伸べていらして、「百年構想」という、アフリカ大陸の全ての国から毎年一人ずつ、100年続けて先進国の大学に通わせる、という壮大な計画をお持ちです。若者たちの受け入れ先として、早稲田大学など日本の大学、ヴァッサー大学(『あしながおじさん』の作者、ジーン・ウェブスターが出た大学)を始めとするアメリカの大学、イギリスのオックスフォード等に積極的に働きかけていらして……

その活動の一環として、このコンサートの企画がありました。日本国内だけではなく、世界中に「あしながさん(募金をして下さる方の呼称)」を増やしたい、でもそのためには、団体を知ってもらわなくてはならない。誰も知らない団体にお金を寄付はしませんから。どういう子供たちを援助するのか、どういう場所で教育するのか。そこから、ウガンダ、日本、アメリカの子供、若者たちの共演することになったのです。

『ダディ・ロング・レッグズ』をご覧になった玉井さんのご依頼を受け、夫がボランティアでの演出を引き受けました。彼も玉井さんのお考えに大いに賛同したからです。それが一年ちょっと前でしょうか。以来、ウガンダの寺子屋を訪ねたり、ヴァッサー大学の合唱団を見学したり、東北の和太鼓を観に行ったり、メールやSkypeで打ち合わせをしたり、と準備を重ねてきました。

ですから、夫の頭の中には、大まかなコンサート像はあったとは思います。けれども、なにせ子供たちもスタッフも世界各地に散らばっていたので、結果的に、皆が同じ場所で稽古出来るのはコンサート前の3日間だけという、かなり無謀なスケジュールになってしまいました。

台本の翻訳と夫の通訳を引き受けた私も同様。リハーサルの通訳をしながら、同時に台本を翻訳していく時間などあるわけがなくて(台本を受け取ったのは稽古開始時)、睡眠時間は平均2〜3時間ほど?!

皆、ハラハラドキドキしていたのでは……

けれども、これほどまでに胸を熱くした時間はありませんでした。痛みと悲しみに涙を流した次の瞬間には感動と希望に打ち震えている。言葉の壁を乗り越えて皆で踊り、歌い、笑って。
東北の山の中、Wifi環境の無い合宿所で三食のご飯を一緒に食べ(子供たちはお風呂も一緒!)、稽古をし、遊んだ三日間は決して忘れないでしょう。

コンサートは素晴らしいものでした。何が素晴らしかったか。それは「子供たち」に尽きます。まるで違う環境、違う境遇にいた子供や若者たちが、あの舞台上で同じ思いを共有して、最上のパフォーマンスを見せたこと、それがひたすら感動的だったのです。利益や収益を生み出さなくても、この経験を分かち合った若者たちを生み出したことに、このコンサートの意義があったと私は思います。
稽古場で流し足りなかった涙があったことに自分でも驚きました。

そして、震災後に芸術の重要性に対して抱いた疑問がフッと消えていったのです。


東京公演後、今後の予定に関するミーティングがあり、そこで様々な意見に耳にしながら考えました。コンサートの主題でもある、アフリカの子供たちへの援助についてを。

途上国への援助の重要性は否定しません。けれども、例えばアフリカの子供たちや若者を先進国で教育すること、アフリカの国々を今の先進国のようにすることが援助なのか? 先進国の価値観で考えない、同じ轍を踏ませない、それも大切なのではないか、と。

心に大きな傷や不安を抱えながらも、踊いながら、歌いながら、そして遊びながら屈託の無い笑顔を見せる子供たち。彼らの未来のために、もっと心と時間を割いていきたいと思います。

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