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『ナイツ・テイル』大千穐楽 [舞台]

今日は『ナイツ・テイル』の大千穐楽、無事に幕を下ろしたかな……と考えているところに懐かしの面々から FaceTime が。
なんて素敵なカンパニー、大阪へ飛んで行きたくなりました。
偏西風の背に乗り、思いと同じ速さでと!

一からミュージカルを創る、それは長い長い道のりでした、愛する湖水地方の山へ登るような。

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"登る"というアイディアに浮かれて楽しく荷造り。
登り始めは鼻歌交じりで緩やかな傾斜をスキップしたり。
中盤の微妙な勾配が続くと息が切れ脚は動かず、「ああ何故こんなことを……いつまで続くんだろう……」と考えるも下界はもう遥か遠く、先へ進むしかなくて。
最後の岩場は垂直の壁に立ち向かう感覚、霧でほとんど前も見えない状態の中、しがみつくようによじ登る。
そしてやっと頂上に辿り着く。

達成感はいつでもありますが、雨の寒さに震えながらそれを味わわねばならないときもあります。でも、ご褒美のように霧が晴れて息を呑むような景色が見える時もある。
今回の『ナイツ・テイル』の頂上では予期せぬ美しい景色が広がっていました。その一瞬前までは濃霧に覆われていましたが(笑)。

この作品には色々な形で関わりました。でも公演が終わった今、翻訳について書いてみようかと思います。

シェイクスピアを日本語に訳す、と言うと大抵のイギリス人は半信半疑、口には出さなくても「無理でしょう、だってどうやって?」と内心で思っています。

『ナイツ・テイル』の原作『二人の貴公子』が、ボッカッチオに基づいたチョーサーに基づくシェイクスピア&フレッチャー作であるように、シェイクスピアの作品の多くには原典があります。オリジナルな物語もあるにはありますが、すでに存在する話の焼き直しも多いので、ストーリーが同じならシェイクスピア、ということにはなりません。

公演のプログラムにも書きましたが、シェイクスピアの天才はストーリーではなくて言葉、スピーチにあるのです。

ブランクヴァース(押韻はなく韻律がある詩)の一種、弱強五歩格(音節の弱強が1行で5回繰り返される)で書かれたセリフは、聴いていて美しい。そして何を言うにも決して普通の言葉を使ったり、ありきたりな言い方はしない。その表現の独創性に魅了されるわけです。

よく読んでみれば設定も時間軸も矛盾だらけ、変装や誤解に至ってはツッコミどころが満載ですが、観客は登場人物同士の機知に富んだ会話、あるいは深遠な独白にシェイクスピアの哲学を感じとり、全てを納得してしまいます。

今回の『ナイツ・テイル』は『二人の貴公子』とは違う結末を迎えるほど大幅に筋が変えられています。脚本のジョン・ケアードは、ボッカッチオやチョーサーにも遡ってその内容も取り入れながら、同時に彼のオリジナルとなる現代的な要素も加えました。だからボッカッチオ、チョーサー、シェイクスピア、フレッチャーは『原作者』ではなく、『彼らの作品に基づく』というクレジットになっています。

それでも何故この作品をシェイクスピア的だと感じるか、それはところどころ使われているシェイクスピアの言葉に合わせるように、ケアードのオリジナル部分もほぼ全てが弱強五歩格で書かれているからです。(牢番の場面のいくつかの台詞だけ散文。シェイクスピアの作品では、高貴な人が韻文で話し、下々の者たちが散文で話すのが定番なので、その名残ですね。)

で、そのシェイクスピア調をどうやって訳すか。
翻訳には翻訳者の数だけ違うやり方があります。シェイクスピアの翻訳者はかなりの数にのぼりますが、誰一人として同じやり方はしていません。
どれが正解ということはないゆえ、自分が良いと信じる方向に進むのみ。

私が拘る(拘りたい)のは、とにかく独特の文体・リズムと表現のオリジナリティを損なわないようにすることです。それが具体的にどういうことか説明しだしたら、とてつもなく長くなるので、それはまた改めて書くことにします。

実は今回の『ナイツ・テイル』、韻律文ではあっても完全な古語で書かれてはいません。ポール・ゴードンの書く歌詞との摺り合わせ作業もあり、現代寄りになっています。古文をどこまで現代文にして良いか、という究極の難題からは多少逃れることができました。

が!ブランクヴァースと言いながら、気を利かせたい部分では韻を踏んでいる……

韻を踏んでいる場合は踏み、会話の端々に見られる比喩やレトリックはそのまま生かしつつもリズムに拘った結果、歌との距離が縮まって聞こえたのは面白い発見でした。日本語は抑揚が小さい単調な言語なので、リズムとメロディーを持つ歌が始まると(特にミュージカルは洋楽ですし)大きなギャップが生まれがちです。
韻文は自然な会話ではないかもしれませんが、音楽的だから繋がりが良いのでしょう。そういう意味で英語と近いのかも?

役者たちはどう感じていたのでしょうか?

その特殊さに最初は不安もあったかと思います。
そう、音響の本間俊哉さんがご親切にも『ナイツ・テイル』大阪公演の音源を送ってくださったのですが、1ヶ月の東京公演を経た役者陣の台詞回しが特に進化していることに驚きました。公演を繰り返す間に、独特の言い回しに慣れ、言葉の意味を掘り下げる余裕も生まれ、何よりもお互いの言葉を聞き、自分の声を聞いて発見したことが沢山あったのだろうと思います。まったく同じ台詞なのですけれど!
イギリスでもシェイクスピアに不慣れな役者と長けた役者では聞こえ方がまるで違う、面白い事実です。

では観客の皆様は?

ミュージカルとしては耳慣れない台詞回しに戸惑われた方もいらっしゃるかもしれません。でも観客側にも耳が慣れるという現象がおこります。
イギリスでもシェイクスピア作品を聴き慣れている人は、初めての人よりも断然理解が早い。

そして嫌だと思われた方もいらっしゃるでしょう。人の好みは様々です、仕方ありません。
イギリスでもシェイクスピアを嫌う人はいるのですから!


これまで翻訳に関わったシェイクスピア作品は2つありますが、この『ナイツ・テイル』は翻訳者として初めてクレジットされた作品でした。

あの景色を見てしまった今、また新たな山の頂上を目指して登ろうかと考えているところです。
8月15日|- ブログトップ

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